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「寄付ナビ」というサイトを、開設しました!

寄付ナビ」というサイトを、開設しました!

「子ども達のために寄付したかったけど、良い支援先が見つからなかった」「ネット検索でたどって、これだ!という活動にやっと出会えた」といった声をいただく機会が、前職などでご支援者の方とお会いするなかで、少なからずありました。

PRとか情報公開とか頑張ってつもりでも、逆に言えば一般の方には届いてなかった。

情報の非対称性が、大きな業界なんだなぁと。

せっかくお気持ちはあっても「信頼できる団体か分からない」「寄付の効果が見えない」から、それがお金を出すのを踏みとどまらせる障害になってたり、結局は誰もが名を知ってる募金先を無難に選んだり・・

そうなってたら、もったいない!有名ではなくても、素晴らしいことをしてる団体さんがたくさんあるのに。

という想いと、“副専攻”的に学んで&お仕事させてもらってきた、コンテンツマーケ・SEOを掛け合わせて「あれこれできるはず!」

3年半前に独立してから、そう思い続け、お会いした人には時折話してました。

でも、これが続くといつまでも「やらない」で終わってしまうなと・・

「先延ばしせずにやろう!」、昨年末に決めました。

1月にサイトをリリースしてから、いくら地道に記事をアップし続けても、アクセスは超低空飛行だったのですが、3ヶ月も経つとGoogle先生もだんだん評価してくださってるみたいで、(あくまで相対的ですが・・)アクセスもどんどん増えてます。

ほんの少しづつですが成果も出てきて、いかに時間をつくってコンテンツを作っていくか?です。

一緒に記事を書いてくださる、ライターの方も募集しています!

(ご興味ある方は、お仕事内容や条件などご質問メッセくださいな)

とは言え、サイトのビジュアルもナビもテンプレそのままで、手直ししたいところだらけ。。

「ちゃんと整えてから・・」とずっとひよってたのですが、Quick & Dirtyの精神でと自分に言い聞かせ、ご報告しました!

コモディティ化しないための、キャリアの作り方は?3つのポイント

「独立も考えている友達の、相談に乗ってほしい」と、先日にお茶をご一緒したのですが、友人から「コモディティ化しないための、キャリアの作り方は?」なんとも壮大なお題が。笑
どこまで参考になったか?はかなり謎ですが、10年来梅田望夫さんの本にかぶれて「コモディティから抜け出す」はむっちゃ意識してきたので、話しながら思考をあれこれ広げまとめる良い機会をもらいました!

相談に乗りながら整理した、3つのポイント

自分なりに3つに分解してみて、話した+後で考えたことを事後的にメモしてみたのですが・・

1 どこで戦うか?

・需要:成長している or 規模のある市場に身を置くのが前提
・供給:需給が均衡していない(=供給が相対的に少ない)ポイントを見つける→個人レベルだとニッチがよい?
・ニーズドリブン:↑と重ね合わせて、自身のバックグラウンドや得意・想いを定義する

2 いかに付加価値を提供するか?

・専門性:複数の専門性の掛け合わせで、only oneになる(藤原一博さんの「レアカード」理論)
・経験に投資:一次情報でPDCAを回せる経験をいかにつかむか?先行優位を築く(リアルに言うと、地べた這いつくばるw)
・連続的なInputと変化:時代の変化に合わせて学習→公開情報+属人の組合せ

3 どうやって価値を認識してもらうか?

・紹介:推薦していただけるように、フリーになってからも会社員の時も「毎日の仕事が営業」
・コンテンツ:自分のスキルややりたい!を、見える化(SNSやブログ、対面・講演etc)

自分自身に置き換えてみたときの、課題と展望

僕自身の10年経っての今に置き換えると、ファンドレイジング ×デジタルという、とてもニッチですが伸びてる(らしい)市場で、一方供給はなかなか少ないので相談いただくことが多い。
だが、これは「意図して選んだ」というよりは、偶然の要素が大きい!ものの、不確定なトレンドにワクワクできるか?重心を移せるか?の要素もあるのかも。

専門性は、ダイレクトマーケのモデル×プロダクト(寄付)や顧客の知識、クリエイティブ×心理学あたりが現状で、それらをパッケージ化orアンバンドルして横展開していきたい。
と同時に、テクノロジー(統計やオートメーションetc)に、もっと詳しくなりたい!どうやって新たな経験をつくるか?

最後は、一緒にお仕事した方(特に前職・前々職関係)がご紹介くださって、あと発信する機会をいただき、本当にありがたい!m(_ _)m
既知のOutputと未知へのチャレンジを、いかにバランスさせるか?が課題。

とざーっと書いてしまいましたが、同じように専門性なキャリアを歩まれてる方、もしピンとくる方いらっしゃれば、お話ししましょー。

冒頭で書いた、(勝手に)「心の師匠」梅田望夫さんの本がこちらです!

コンサルティングの仕事で翻弄された3つの“変化”と、2018年に出したい価値

年末年始に昨年の仕事を振り返っていたのですが、2017年は改めて、クライアントの「事業の成長」を実感できる機会にいくつか恵まれたなと実感しています。
それ自体はとても喜ばしいことだったのですが、成長したらそれだけ新たな課題も生まれるわけで、自分自身が提供する価値や役割も変化していったり、個としてもっと成長するorあり方をシフトせねばと、薄々感じ続けていました。
モヤモヤと考えていたことを、これを機に文字にして整理しようと思います!

2017年に体験した、3つの変化

携わっていたお仕事ごとに異なるので一概には言えないですし、また具体的なことは書けないですが、以下のような変化があったなと(無理やり?)3つに分類してみました。

変化1:サポートする範囲が広がった

1つのご支援先で、「ご支援していた分野と、隣接する分野もサポートするようになる」など、お手伝い売る範囲が広がったケースがいくつかありました。

・広告による新規顧客獲得をサポートしていたクライアントで、その先のCRMをお手伝いするようになったり
・逆にLTVアップのためCRMを支援していた企業で、広告まわりの改善・テストも範囲とするようになったり
・またはコンテンツの制作を担当していたケースで、WEBサイト改善についてもアドバイスするようになったりetc

このような戦術レベルでのご支援から広がり、よりマーケティング戦略策定をお手伝いしたこともありました。
「CPA改善から、LTVアップまで」という“面”での広がりがあり、より経営に近い“上流”のレイヤーをお話しする機会も増えました。

変化2:実行支援からコンサルティングの比率が増えた

1にともなってか、自分自身が実行として手を動かす比率が減り、戦略・コンセプトの提言や、定期的なモニタリングや打合せでのアドバイスなど、コンサルティングの比率が増えました。

これまでは、クライアントにとっては正直「メインでない」分野で、0→1の立ち上げをお手伝いしたり、半分外部に委託して回しておく、というためにお手伝いしていることも少なからずありました。
軌道に乗って、規模がある程度まで大きくなってくると、「本流」としてあるいは将来の成長エンジンとして強化していこうという流れも。

これまでよりアサインするご担当者が増えたり、予算を上乗せしたりなどで、「内部で主導して回せるようにしていきたい」という要望をいただくこともありました。
そのために目指すべき方向性を考えたり、そのプロセスに伴走したり、といった関わり方が増えてきました。

変化3:経営上のボトルネックが他にも・・

事業が成長していくと、その分新たなボトルネックが登場してくる事例にもいくつか出会いました。

「売上を上げる」「顧客を獲得する」というところが幸いにしてグロースすると・・

・カスタマーサポートやコールセンターなどの部門での、オペレーションが逼迫する
・先行投資型ビジネスモデルの場合、広告投資のキャッシュフローが回らなくなる
・(採用難のトレンドもあり)人材の採用や配置が難しい

などといったことも。経営者やマネージャーの方とのお話のなかで、、ファイナンスや人材などのご相談に展開していく機会もありました。

改めて価値を出していきたい、5つの役割

そんな変化のなかで、自分自身はどのように役割をシフトいていけばよいのか?
どこを強みとして、そして価値としてクライアントに提供していくか?を、問われ続けているような感覚も抱いていました。

「ここを強化していこう!」と暫定的に整理した機能を挙げてみると・・

役割1:問題構造の見える化

「CVRが悪化」「離脱(退会)が増える」など、マーケティングが進んでいくと、何かしらどこかでさまざまな問題が発生します。
「問題の解決策を考えて、提案する」というのもたしかに求められることですし、実際にさせてもらうのですが、それだとモグラ叩きのように問題に追われ続けるし、内部にナレッジが残りにくい。

クライアントのご担当者が主体的に問題を解決するのを、サポートできるようになれば貢献度が広がるなぁと思っています。

(問題の緊急度や組織の成熟度等にもよりますが)チャレンジしていきたいのは、問題を解くための“補助線”を引いていくこと。
たとえば、「これまでの施策の成功失敗をマトリクスで分類する」「KPIを比較しやすいように、表でまとめてもらう」などで。

自慢じゃないですが、クライアントのご担当者には優秀な方々が多くいらっしゃいます。
まだマーケティングの知識やファンドレイジングの経験が少ない場合も多々あるのですが、「解くべき問題を定める」「その構造が見えるように整理する」などしていけば、自律的にPDCAサイクルを回していきやすいのでは!と考えています。

役割2:戦略のモニタリング・軌道修正

「コンサルティング」という役割の、最もオーソドックスな価値の出し方と思いますが、大事なのは立てた戦略が「仏つくって魂入れず」にならないこと。

特に事業の成長やフェーズの変化、ボトルネックの移動などにともなって、「どこに注力すべきか?」「何を捨てるのか?」の判断を迫られる機会が増えました。

限られた経営資源を、有望な機会に振り向けていく。
と書くと当たり前に聞こえますが、その絞りを不十分なままにしてしまったために、戦線を広げすぎてオペレーションが十分にできなかったこともありました・・

そうならずに、経営の上流(事業計画やリソースなど)とマーケティングの実務を、いかにスムーズに連携させていくか?
LPの訴求や広告予算の配分、新規とCRMを連動させたオファーとリピートの設計見直し、決済やオペレーションへの接続などなど。

内部のリソースと外部のトレンド、そして経営上の数字と現場の実感を鑑みたうえで、戦略をチューニングできるよう神経を研ぎ澄ませていきたいです。

役割3:異なるレイヤーのつなぎ目

マーケティングを成功させるためには、右脳系(企画・クリエイティブ系)と左脳系(データ・システム系)の大きく2つの機能が、両輪として回っていく必要があると感じています。

ですが、右脳系と左脳系の2つを、兼ね備えている人はレア。
企画(制作)担当とIT担当など、部署や役割も分かれていることもよくあります。
個人としての発想・考え方や、組織としての業務プロセスも、綺麗に対照的になるケースも。

一方、たとえばWEBサイトのA/Bテストでも、改善仮説を出してクリエイティブ案を作るという右脳系と、データをとれるように検証の設計からテストツールでの実装という左脳系まで、一連のプロセスが有機的に機能する必要があります。

僕自身は、(良くも悪くも)左脳・右脳のバランス型と捉えています。
なので、そのあたりの橋渡しがうまくいくように、双方の担当者とコミュニケーションしていく、もしくは組織としての機能がどちらかに偏っていたら足りない方を補完できるように、心がけていました。

(例)
・テスト結果へのIT担当者からの見解を、「どう売れるか?」に翻訳する
・ふわっとした改善アイデアを、定量的に検証するための方法に落とし込んでいく

なお同じように、異なる立場や機能が融合する必要がある場合としては・・

・事業会社とマーケティング支援会社(広告代理店やベンダー)
:事業会社内部の事情を踏まえずにマーケティングを実行しても無理が生じるし(特にNPOは特殊性が大きい)、一方外部の支援会社のマーケット視点や利益構造などを理解せねば長期的なWin-Winの関係は築けない

・経営と実務
:同じ数字を見るのでも、マクロ(事業の損益レベル)を踏まえないとダメだし、一方ミクロ(1施策の効果)がないとリアルさに欠けてしまう

かつて広告代理店と事業会社(NPO)、そしてマネジメント(事業の損益責任)と担当者の両方で、マーケティングにそれぞれに関わる機会をもらったので、そのあたりの実感値を掘り返しながら、異なる立場の方々の橋渡しをしていきたい!です。

役割4:学習の促進

役割1に書きましたが、問題解決のPDCAサイクルを自律的に回せるようにサポートしていきたいです。
そのうえで有効なのが、その時々に直面している課題に即して、適切なインプットを与えること。

マーケティングの定石や戦略のフレームワーク、あるいは業界のトレンドや他社の出稿状況、または異業界の成功事例などさまざまですが。

世の中に情報は溢れていますし、セミナーや本、WEB記事などマーケティングを学ぶ素材には事欠かないですが、価値を出せるとしたら・・

・ご担当者が個々に置かれている文脈に置き換えて「何を学ぶべきか?」をサジェストすること
・適切な素材を、人力でリコメンドすること
・理論をケースに置き換えるサポートをすること

なのかな?と捉えております!

役割5:0→1での一点突破

これまでは、自律サポート系の話をしてきましたが、最後は個人技について。
これがコンサルティングという範疇なのかは定かではないのですが、これまでの仕組みが機能しにくくなったとき、局面を個人技で打開できる存在でありたいなと考えています。

たとえば、あるクリエイティブが売れなくなったとき、新しい訴求やコピーをイメージラフでもざざっとつくるとか。
(特にダイレクトマーケティングにおいては、クリエイティブと戦略が密接に結びついているので)

・別の訴求のLPやコピーを作る
・CRMで新しい施策にチャレンジする
・動画や記事など、これまでと別のパターンで当てる

といった局面で、貢献できたことも何度かあったなと昨年を振り返って思い出します。
(はずしてしまったこともありますが、、手数を打つのも0→1では大事ということでm(_ _)m)

※逆に言うと、クリエイティブを直接つくるのは「コンサルティング」のお仕事では0→1以外はできるだけサポート側に回りたい

なおクリエイティブに限らず、何かを変えるときや創るときに、特にしんどいのは0→1の「先が見えない」フェーズ。

・フレームワークのたたき台を作ってみる
・収支のシミュレーションを、まず組んでみる
・問題の構造をチャートに落としてみる(役割1と重なっていますが) etc

気分的にも一番しんどい“取っ掛かり”を、まずは仮にでもアイデア出したり形にして見せたりする、ということは付加価値出しやすいポイントなのでは?と思っています。

自身の「時間の使い方」や「あり方」をどのようにシフトさせるか?

とこれまで「求められる役割」や「価値の出し方」の変化について書いてきっましたが、それにともない自分自身もどうシフトするのか?を考えねば!と捉えております。

ここへの明確な答えは出ていませんし、もう少し見えてから言語化したいなと思っていますが、1つ実感しているのは、「時間がボトルネックではなくなってきた」ということ。
僕も実行側にいるとき、サラリーマン時代はかなり長い時間働いてしまっていたし、「時間を投入すればするほど、成果が出る」という枠組みがたいていにおいて機能していました。

でも、今の自分にはボトルネックが「時間」から別のものに変化したと感じるようになってきました。

(例)
・市場の潮目や人々のマインドの変化に敏感になること
・良いパフォーマンスを出すための、肉体的・精神的なコンディションを整えること
・価値観や波長が合うパートナー・クライアントと出会うこと
・専門的/隣接する分野の知見をもっと深めること

一例ですがこれらが不足していると、いくら真面目にアウトプット出しているつもりでも、価値には変換しづらくなっているなと。
コンサルティングを「労働集約ビジネス」「高度な時給労働」とたとえる言説を受けて、僕も←のように捉えていたこともありましたが、「どうもそれでは、機能しないな・・」と実感するようになりました。

他にも、「遠回りやスピードダウンを許容する」や「自分の信念と異なる結果が出ても、柔軟にむしろ喜んで受け入れる」など、僕自身のあり方をシフトせねば!と感じる機会も出ています。
文章を書くことで内省するタイプでもあるので、時間をつくって&差し障りがない範囲でアウトプットしていきたい!です。

「独学」のリターンを、最大化するためには?“学びのテーマ”を14個、洗い出してみました

「知らなかったことを、知る」ことが小さな頃からが好きで、仕事柄(マーケティングやコンサルティング)もあって、大人になってからも「学ぶ」ことには人一倍時間をかけてきました。

その学び方ですが、「誰かが話すのを、黙って聞く」のが得意ではない、という性格もあって(汗)、またマニアックな分野を学ぶことも多いので、「スクールに通う」や「勉強会を開く」といった方法よりは、「本を読む」「WEBで調べる」といった“独学”のアプローチを主にとってきました。

そんな独学の費用対効果を高めるために、有用に思える本に出会ったことと、その本をもとに自分自身の「学びのテーマ」を洗い出してみたので、恥ずかしさもありつつさらしてみます。

「独学の戦略」づくりでまず定めるべきは、「学びのテーマ」

読んだのは、知的戦闘力を高める 独学の技法(山口周)という本でした。

「効率的に知識を引き出せるシステムを作る(脳の外部化)」や「なぜ教養を身に付けるのが大事か?」など、いろいろ目から鱗だったのですが・・
なかでも考えさせられたのが、(既存の「ジャンル」ではなくて)自分が追求したい「テーマ」に方向性を持つのが大事とのこと。

・ジャンル:コンテンツの分類科目のこと。
 (例)「心理学」「歴史」「文学」など

・テーマ:自分が追求したい「論点」のこと。
 (例)「イノベーションが起こる組織とは、どのようなものか?」「美意識はリーダーシップをどう向上させるのか?」など

独学の戦略を立てるというと、「どのジャンルを学ぶか」を考えてしまいがちですが、これをやってしまうといつまでたっても「知的戦闘力」は上がりません。
なぜかというと、ジャンルに沿って勉強をするということは、すでに誰かが体系化した知識の枠組みに沿って勉強するということですから、その人ならではの洞察や示唆が得られにくいのです。

まさしく!ということで、僕自身も「学びのテーマ」を書き出してみました。

心にモヤモヤとあったテーマを、書き出してみると・・・

モヤモヤと心の中で考えていたことを、ザーッと勢いに任せて吐き出してみたのですが・・
ざっと、14のテーマ(1つの箇条書きに、複数の問いが含まれているのもありますが)が見つかりました。

1. マーケティング(ファンドレイジング含む)

・「物語消費」「つながり消費」へのシフトと呼ばれているけど、具体的にどう起こるのか?変化にともない、従来のダイレクトマーケティング(特に単品通販的)のどこが機能し続けて、何が機能しなくなるのか?

・定期通販(サブスクリション/月額課金)モデルで、収益最大化のためのキーファクター。なぜ人は「お金を出し続ける」「金額を増やす」のか?データで仮説抽出&実証するためには、どのような体系をつくっていけばよいのか?

・決済や通貨などテクノロジーの進歩で、近い未来にお金の流れはどのように変わっていくのか?それは「寄付」という行動にどう影響するのか?

・寄付など「利他」の行動は、人間心理にどう働きかければ、引き起こせるのか?利他行動を幸福度に変換するためには、どこがツボなのか?

・アメリカの伝統的なファンドレイジングの体系を、まず知りたい。そして時代の変化にともない、どのように変わっていくのか?日本やアジアに当てはめた時に有効なモデルは?

2. ビジネス・経営全般

・持続的に発展していく組織の特長は?特に模倣しにくい競争優位である、企業文化のあり方。(=経営学・組織論)それは、外部からどうやって識別できるのか?(=株式投資)

先行投資が必要なビジネスモデルで、必要なリソースを確保するには?(ファイナンスや人材採用)CPA・LTVモデルを、異なる文化圏で経営的な意思決定に馴染ませるには?

・マーケティングが有効に機能するチームのあり方。先天的な志向や能力を、人材配置にどう活かすのか?仮説検証やデータドリブンの仕事の進め方を、どう根付かせるか?

・個別の最適解である「戦略」を、収益モデルや組織文化、時代背景などから、どう導き出すのか?そして戦略にもとづいて、施策を取捨選択したり、ルーティン業務をリデザインしていくにあたっての考え方

3. ライフ

・人生100年時代に、80歳過ぎても健康に働けるために、どんな習慣を実践していけばよいのか?(食事・睡眠・運動・人間関係etc)特に、知的パフォーマンスを最大化させるためには?

・場所や時間、組織にとらわれない働き方を、具体的にどう実践していけばよいか?LifeHackやデジタルツールから、経理税務に営業、住まいまで。

・右脳的な能力(感性・センス系)は、後天的に高められるのか?子どもの成長と合わせて、実験していきたい(絵、料理、音楽など)

・2020年以降の日本社会は、どう変化するのか?過去の歴史に、構造が類似しているような変化の節目の事例は?(不確実な未来をどう進むか決めていくうえで、「いつか見た景色」のオプションを、疑似体験でも増やしていきたい)

・自分のリソース(時間・お金・アテンション)を、今後10年くらい、どう最適配分していくか?日本という国の未来から、家族(妻・子ども・親)の時間制約まで、異なるレイヤーの条件を総合して、どうリスク分散と集中をバランスさせるか?

最近読んだ歴史の本(歴史を学ぶことで、今の「当たり前」を俯瞰的に見られるようになりたい)

「問い」を解いていくのを楽しみながら、人生を実験していく

他にも、大小合わせるといろいろ出てくると思いますが、いったんこんなところで。
書き出しているうちに気づいたのですが、「知りたいこと」はたくさんあるんだな!ということ。

うまく言語化できずに、途中で苦しかったりもしましたが、モヤモヤとした日々の思考を見える化できてスッキリした気分です。
(という気分もあって、ブログにまとめてしまいました。)

特に知りたいことがシャープになって、インプットしていく方向性の感度が高まった気(あくまで気ですが)がします。
同書によると、「入れない情報を決める」のが大事とのこと。

現在は情報がオーバーフローの状態にあるので、システムのボトルネックはインプットされる情報よりもそれを抽象化・構造化する処理能力のキャパシティにあります。
つまり、いたずらにインプットを増やすよりも、将来の知的生産につながる「スジの良いインプット」の純度をどれくらい高められるかがポイントとなるわけで、分かりやすくいえば「量よりも密度が重要になる」ということです。

だからこそ、「テーマ」を設定して、そのテーマに沿ったインプットを意識するのが大事とのこと。

というわけで、同じく独学を頑張られている方にも、学びのテーマを書き出してみること、オススメです!
私もざっと洗い出しただけで、いささか散漫な気もするので、もう少しブラッシュアップいていきたいです。

これらのテーマのなかには、まさに直面している課題もあるし、近い将来に取り組んでいきたい構想もあったりですが。
日々の仕事や生活のなかで、↑の問いを意識しながら、インプットやアウトプットを繰り返していこうと思います。
(「遊・学・働」の一致という、僕が就活していた頃にリンクアンドモチベーション社で聞いた考え方が、好きでした。)

学んだり実践したりで問いを解いていくのを楽しみに、人生を実験していきたい!です。

「2020年まで、ファンドレイジングに注力しよう」と決めた、5つの理由

2014年9月に独立してから、3年ちょっと。
「仕事がなかったらどうしよう・・」という不安も、当初はなきにしもあらずでしたが、景気が良い時期だったのも奏功してか、ご縁のなかでさまざまな仕事をさせてもらいました。

単品通販のCRMツール制作やBtoB集客のコンサル、WEBサイトの企画ディレクションにマーケ記事のライティング、変わったところでは採用サイトのSEO設計まで。
有難いことに「仕事に困る・・」ということはないまま、ただ「次の3年間をどう使っていこうか?」と考えたときに、「軸を定めたい!」と痛切に感じました

「2020年までの3年間は、ファンドレイジング(=非営利団体の寄付等による資金調達)に注力しよう!」
今年の夏にそう心に決めたのですが、さっそくなし崩し的になりつつあるので(笑)、年末というのを機になぜ「そう考えたのか?」を言葉にしようと。

自分に言い聞かせるためにも(?)、まとめ直してみました。

理由1:必要としてもらえたから

3年間で、たくさんのNPOやNGOさん(20〜30くらい?)から、相談をいただきました。

僕は2011年から14年の3年間、あるNPO法人で広報・ファンドレイジングの責任者を務めさせてもらいました。
そこでは、被災地での教育活動の資金を主に確保するため、マーケティングを通じて寄付を集める、ということをやっていました。

「3年間で、寄付収入が8倍に」と字面にするとそれっぽい成果となり、インタビューなどではさも綺麗に語ってしまってましたが(汗)・・
内心では、「偶然がプラスに大きく左右したなぁ」と気づいていました

・東日本大震災の後という時期に、「被災地の子ども支援」という活動の分かりやすさ
・団体が元々持っていた、組織文化やネットワーク
・システムやデータベース面での、強力なサポート
・代表の方のビジョナリーな言葉や、現場の生み出す熱etc

前職での実績に興味を持って相談いただく機会が多かったのですが、「同じことをやってくれ」と言われても、厳しいよね・・と正直引いてしまっていたところもありました。
自分で言うのもすみません、という感じでしたが、「再現性が、どこまであるのかな?」と。

でも、いくつかお手伝いをするなかで、これまで培ってきた方法論が機能するケースが少なからずあると分かってきました。
きちんと戦略を立てて、魂を込めてクリエイティブを作って、データがとれるよう整備してPDCAを回していく

そうすれば、別の環境でも、ちゃんと結果はついてくるものなんだなと。
かつては思いもよらなかったほどの、大きな成果が出たこともありました。
(もちろん活動内容や団体規模などによって、成り立たない場合もありますが、そういった目利きも少しずつできるようになってきた。)

「良いことをしているけど、お金がない・・」という非営利団体は、たくさんいらっしゃいます。

特に、「オンラインから、支援者を獲得したい」「マンスリーサポーター(=継続寄付会員)を増やしたい」
そんなニーズが、世の中の変化もあってか、より強くなっているように感じました。

自分の専門性を、役に立ててもらう機会がある。
すばらしい活動の、助けになる。

またチャレンジしていきたい!と思いました。

理由2:ちゃんと生活できたから

「NPOがクライアント」というと、「食べていけるんですか?」という質問をよくいただきます。

気のおけない古くからの知人だと「大丈夫なの?」「お金になるの?」とストレートに聞かれることもあるし、マーケティング関係の方だと遠回しに「変わったことやってますね」「儲からなそう・・」という視線を感じてしまいます。(←自意識過剰だったらごめんなさい)

でも、3年間やって分かったのは、生業として「ちゃんと食べていける」ということでした。
(僕自身は、ビジネス分野での仕事もさせてもらっていますが)

NPO向けの仕事だと、かつては「ボランティア」や「大幅な値引き」が当たり前の感覚もあったかもしれませんが、ちゃんとした仕事として対価を払える(払う)団体が増えています。
僕自身も幸いなことに、(企業のクライアントより若干低くしてるかもですが)ちゃんとしたフィーをいただいて仕事ができています。

寄付というのは、現時点では万人がお金を使うような対象ではありません。
それでも日本の寄付市場の規模は、約7,556億円。(「寄付白書2017」より)
2009年の5,455億円からは、約140%で成長してきたみたいです。

マーケティングの力を使って、もっとたくさんの人がソーシャルグッドにお金を使ってもらうように働きかけていく
成長市場のなかで、お金の流れがきちんと回るようになれば、この流れを加速できないかなと。

もちろん、寄付の多くは目的である社会的な事業にあてられるべきです。
支援を募る仕事にやりがいを覚えるのも、お金を集めた先にいる子どもたち(など受益者)の喜ぶ顔があるからです。

一方で、資金の100%を活動に投じてしまうと、翌年以降の収入を得るのが困難になるのもまた真実です。
(種もみの100%をその年に食べてしまうのと同じ)

収入の一部を、獲得のために再投資に回していく。
財務基盤となる収入を得られるよう、サポートをしていく。

その循環をつくっていき、自分以外の専門家にもサステナブルな状態で関わってもらえるような輪を作りたい!
規模をちゃんとスケールさせて、市場を広げていく一助になりたい!と考えるようになりました。

※「これ仕事にしていいんだっけ?」という、どこかでモヤモヤしていた気持ちがやっと整理できた、と言えるのかもしれません。

理由3:社会的に求められるから(そして父の死と娘の誕生)

3つ目ですが、日本という国でファンドレイジングがますます求められるようになる、という考えもより強くなったからです。

マクロなところでは、経済格差の拡大と教育・福祉・子育てなどで問題が噴出。
一方、政府が財政支出によって直接に介入するのは、ますます困難に・・

「新しい公共」論に代表されるように、NPO/NGOが低コスト・高インパクトな社会課題解決の担い手として期待されているのは、よく知られているところです。

僕自身、政治的な立場としては「小さな政府」論者です。
自由競争の推進は、日本が国際競争力を維持するために必至だし、結果として経済格差が拡大するのも仕方ないと考えています。

でも、「機会の平等」だけは保障されなくてはいけない。
(学生時代にアメリカに旅行に行ったのを機に、そう思うようになりました。)
特に子どもたちが、生まれ育った環境によって、可能性を奪われてしまうような社会にはしたくないなと。

僕自身は、とても恵まれた環境で小学校で塾に、そして中高と私立に通わせてもらいましたが、父はそうではなかったそうです。

僕の父は昭和20年に満州で生まれたのですが、戦争で父(=祖父)がシベリアに抑留され、そして亡くなりました。
本土に引き揚げてからも、母子家庭で育ったのもあり、貧しい子ども時代を過ごしたそうです。

教科書もおさがりを使ってしのいだこと、田舎で参考書とラジオ講座を頼りに受験勉強したこと、など小さな頃に聞かされたものでした。
幸いにして父は、国立大学に合格して(←その当時は、学費がむちゃくちゃ安かった)、大手企業に就職。

僕にもきちんとした教育を受けさせてもらったのですが、かつての父のような(あるいはもっと過酷な)環境にいる子もたくさんいます。
途上国のみならず、日本にも増えているし、放っておけば増える一途にあるのだなと。

昨年に父が、70歳で亡くなったということ。
そして僕自身が、一昨年に1児の父になったことも影響があったのかもしれません

そんな問題の解決に加わりたい、と感じるようになりました。

理由4: 持続可能なモデルだから

4つ目ですが、↑のように考えても一人ではできないわけで、マーケティングの力を使ってできるのは、たくさんの方に仲間になってもらうことです。

NPOには、「マンスリーサポーター」といって、月1,000円からなど継続的に寄付をする会員制度があります。
このマンスリーサポーターを増やしたい、というご相談を数多くのNPOからいただいてきました。

さまざまな団体さんでデータを見てきて、驚いた&嬉しかったのは、本当にたくさんの方が続けてくださっている、ということ。
(一般的なビジネスの定期購入やサブスクリプションモデルと比べて、驚くほどの継続率!)

1,000円でも数年間、10年間と続けてくだされば、数万〜十数万円と大きな金額になります。
新規獲得が多少大変でも、収支構造としてちゃんと成り立ちやすいと分かってきました。
マーケティング的に言うと、「LTVモデルが機能しやすい」とも言えます。)

「1人の100歩より、100人の1歩を」という、好きな言葉があります。

多額の寄付ができるような富裕な方は、日本にも多くはありません。

普通の人でも、たとえ1回1回では必ずしも高い金額でなくても、仲間になってもらう。
ご支援を続けてもらい、課題解決の道のりをご一緒してもらう。

そんな関係性を、もっと規模が大きく成り立たせられたら・・
(日本中の人口のうち、5%でもマンスリーサポーターになってもらえたら・・)

たくさんの幸せの輪が生まれるな、とワクワクしています。

理由5:キャリアとして可能性に満ちているから

最後は、マーケターとしてのキャリアにとって、大きな可能性に満ちているから。

「モノが売れない」と言われて久しい現代。
特に先進国で生活に余裕のある人々の間では、精神的な満足にお金を使うようになっている、とよく指摘されます。

そんな流れで注目されるのが、「利他的な行動によって、幸福度が上がる」という事実。
「自分のために何かを買う」より「誰かのためにプレゼントをあげる」方が、(それが見知らぬ人であっても)人間が幸せになりやすいことは、いくつかの心理学の実験によって知られています。

寄付は、利他的なお金の使い方の最たるもの。
そして、形がない消費の究極的な姿と言えるでしょう。

もちろん、目に見えるリターンがない分、通常の商品と比べて、「売る」のは難しいです。
でもそれは、ある意味、「商品開発」や「訴求の設計」に自由度が大きい、ということ。

マーケターとしては、チャレンジングである反面、工夫のしがいがあります。

ご支援いただいた方に、寄付の使い道や活動の成果、携わる人の想いetcを伝えていき、関係性を育んでいく。
そして、「誰かを応援する」幸せを実感してもらう。

そのために、ダイレクトマーケティング、特にCRMで培った技術を総動員していく。

そんなことができたら、素晴らしいなと思いますし、まだまだやりたいこと、できることがたくさんある!
うまくいったら、マーケターとしての力量や可能性も大きく広がる、と考えています。
(遅かれ早かれ、多くの商品が情緒的な価値を訴える方向にシフトしていくため)

最後に

と、ファンドレイジングという仕事に注力する5つの理由をまとめてみました。
日頃からぼんやり考えていたり、一部だけを人に話していたことを、これを機にザーッと洗い出したため、長文になってしまったこと、お許しくださいませ。

最後に注釈的に添えさせていただくと・・

・企業のお仕事もさせてもらっていますが、「やめます!」というわけではありません。ファンドレイザーとしての強みは、ビジネス分野のマーケティングにも携わっていることにもあると感じています。一方で、企業サイドとしては、マーケティングの定石が分かっている&異分野の発想が欲しい、というニーズを聞かせてもらったりも。絞らずによいのかとむにゃむにゃ悩んだりもしましたが、それならそれでGoogleの「20%ルール」のように、必要としてもらえる限り続けさせてもらえればと。

・「2020年までは」と書きましたが、それ以降にファンドレイジングの仕事をしない、というのでもありません。2020年以降に世の中は変わりそうだから、ホワイトスペースを残しておきたいのと、なんとなく期限を決めた方が、ガーッと頑張れるかなと思ったので。寄付と別の形でのソーシャルグッド(コーズ商品とか)や、アジアでのファンドレイジングへの広がりにも興味があります。

なんだかんだ偉そうに書きましたが、この分野にワクワクするのは、そこにいる人が魅力的というのもあるなーと、書き終わって気づきました。

NPOのスタッフの方々、支援企業の方々、協会や財団などの方々etc
みんな気持ちの良い方々ばかり。
(やっぱり目指しているものや活動が惹きつけて、スクリーニングするんだと思う)

そんな素晴らしい環境で仕事させてもらった2017年に感謝しつつ。。
2018年もここで書いた気持ちを忘れず、一歩ずつ歩いていきたいなぁと思います。

「副業」を3年続けて痛感した“旨味”と、たった1つ後悔していること

私が副業を始めたのは、2011年の夏のこと。
それまで3年半勤めていた広告代理店から、NPO法人に「転職」したのがきっかけでした。

東日本大震災が起こってから、「何か自分ができることをしたい!」と悶々とした思いを抱えていた私。
縁あって、被災地の子ども支援など教育活動を進めるNPO法人で、資金調達(ファンドレイジング)の仕事に転じることになりました。

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「会社、辞めます」から始まった、3年間の副業生活

転職が決まったのは、今まさに支援活動がまさしく立ち上がるというタイミング。

「すぐ来てほしい」という要望に、勢い余って転職先と打ち合わせをしたその日に、当時の上司と面談の時間をもらって、「会社を辞めたいです」と唐突に伝えてしまい・・
上司には引き止めていただきつつ、最終的には応援してもらえましたが、属人的な仕事は引き継ぐのが難しく「退職時期は、どうしよう・・?」と保留になりました。

NPO法人に転職するということで、私も収入面の不安も抱えていたこともあり「そうだ!」、と「仕事の一部を、業務委託で続けさせてもらえませんか?」と提案
転職元の会社に認めてもらい(←当時の上司が合理的な考え方をする方&応援してくださって、有難かった!)、また転職先にも掛け合ったところ了承をもらい、転職と同時に副業生活をスタートすることになりました。

副業として担わせてもらったのは、以下の2つがメイン。
稼働時間に換算するとだいたい週に1日程度でした。

・メールマガジンやニュースレターなどの記事を執筆する
・マーケティング部門の2週間に1度の定例MTGに参加して、アドバイスする

月に2〜3回はオフィスに訪問するなどしたうえで、記事の執筆などは休日や夜などを活用しつつ執筆
(転職先では柔軟なワークスタイルを認めてもらい、平日昼の業務時間中にも一部取り組ませてもらいました)

結局、転職先を卒業して独立するまで3年間、副業を続けさせてもらいました。

副業を続けて「良かった!」と思える5つの理由

この副業、時間や体力などしんどかったこともありますが、続けられてよかったなと今でも思います。
当時を振り返って、5つのメリットに整理してみました。

メリット1:NPOで働く収入の不安から解放された

1つ目は、シンプルですが収入面のメリットです。

NPO法人ということで、入社した当時は新入社員並みの給与。

年収は大幅に下がり、またボーナスも未定ということで、30歳目前の男子としては不安に思える要素が満載でした。

勢いで転職を決めた直後には、「この先ちゃんと暮らしていけるかな?」「結婚できるかな?(←これは別のことを心配しろという感じですが)」と不安を抱いていましたが、転職元の会社で評価していただいていた仕事を副業とさせてもらったこともあり、金銭的な心配はせずに仕事に打ち込めることになりました。

メリット 2:マーケティングの先端事例に触れ、本業との相乗効果

2つ目は、本業と相乗効果があったことです。

私の副業は、マーケティングの先端事例を記事にして発信するという仕事。
広告代理店で発行するメールマガジンやニュースレターなどに載せるために、広告やCRMの事例を収集したり専門家にインタビューをしたりしていました。

本業は、NPO法人でマーケティングを活用して「寄付」や「募金」を集めるという仕事。
ビジネスの世界で展開されている最先端のマーケティング情報に触れられたことは、本業で応用できるたくさんの知見を学ばせてもらいました。
(マーケティングの世界は進化が早く、ちょっと離れていると「浦島太郎」状態になってしまうので)

メリット3:「転職したから、さよなら」とならずに済んだ

3つ目は、会社で培った人間関係が緩やかに保てたことでした。

私の転職は、「広告代理店」から「NPO」と全く異なる業界へ。
転職前は、社内外でたくさんの魅力的な方に出会えたのですが、転職先はまったく異なるネットワーク。
そのままだと段々と疎遠になっていたはずですが、副業でオフィスを訪ねたり社外の会合に参加させてもらうことで、築けた人間関係を緩やかにつなぐことができました。

かつての同僚やクライアントと話すことで、転職先の仕事で直面している課題の相談に乗ってもらったり、「この世界が当たり前ではないんだ」と気づかせてもらったり、時には励ましてもらったり
仕事上で2つの世界をもっていることで、多様な視点を保てたと思います。

メリット4:会計や税務をゼロから実地で身につけられた

4つ目は、会計や税務の知識の習得です。

個人事業主として業務委託で収入をいただいたので、当然にしなければいけないのは「確定申告」。

1年目は右も左も分からず、年明けに「初めての確定申告」みたいな本を買ってきて、泣きそうになりながら領収書の経費を弥生会計に打ち込み。
税務署の職員の方に何度もしつこく聞いて教えてもらいながら、なんとか出すことができました。
(2年目以降は慣れたのと、freeeを導入して無駄な工数がだいぶ減ったので、あまり苦労はしなくなりましたが)

そんな甲斐あってか、「控除」とか「減価償却」とか会計・税務の基本的な考え方も理解できたし、独立してからも重宝している、正しい「節税」の方法を覚えることができました。

メリット5:独立へのステップアップに

最後に、思い切って独立に踏み切れる自信を持てたことです。

私が独立したのは 2年半前、妻のお腹のなかにはもうすぐ産まれる赤ちゃんがいました。
「乳飲み子を抱えて、路頭に迷ったらどうしよう?」と、普通なら躊躇するタイミングかと思いますが、エイやと踏み出せたのは、副業をしていたから。

まず副業でお手伝いしていた広告代理店の仕事は継続して、また時間的に余裕ができるということでコミットを増やさせてもらうことに。
また、NPO法人も独立後も外部からサポートさせてもらうことになりました。これも副業で、広告代理店の仕事を外部からサポートしてたので、独立後の関わり方をイメージすることができたからと思います。

また、「フリーランスで仕事をしているらしい」と噂(?)が流れたためか、NPO法人に在職中もいくつかの会社から「仕事を手伝ってほしい」と声をかけてもらいつつ、「今はできないのですが、いつか独立したらぜひお手伝いさせてください」と答えていました。

そんなこんなもあって、独立する前にも当面の収入の目処が立てられたので、組織を飛び出すことができました。

後悔しているのは、時間がとれなかったこと

とメリットを並べてきましたが、もちろん良いことばかりだった訳ではありません。
最大の問題は、仕事以外の時間がとれなかったことでした。

「転職先の仕事を週4日」「副業を週1日」という約束で始めたのですが、転職先で事業の立ち上げを責任者として託されたこともあって、「週4日」から「週5日」、そして「週5.5日」という状態に。
最初の1年弱は、ほぼ休日も無しで働きづめでした。

「1ヶ月間運動していない」という時期があったり、仕事以外の会合や友達との集まりにも無沙汰が続いてしまったり。
精神的に不安定になって、今思い返せば「鬱病一歩手前」という状態になったこともあります。

そんなこんなもあって、途中から副業のコミットを減らしてもらい、また本業の方で職員の採用や仕組みの整備などでやっと落ち着いてきて、2年目くらいからは何とか休めるようにはなりました。

また当時を振り返ると、本業で「もし当時に○○に本腰を入れて取り組んでいたら、もっと早くにスケールできた・・」など後悔することもあり、正直に言うともし副業をしていなかったら、取り組む時間的な余裕もあったかもしれません。
でも、本業ばかりで働き詰めだったら、逆につぶれていたかもしれないし、時間の使い方の優先順位をもっとうまくつければよかったと今は捉えています。

この「時間」の問題以外は、副業によって具体的なトラブルが生じたことなどはなく、両方の会社からも概ね温かく理解してもらい(と鈍感かもしれませんが感じ)、3年間の副業生活を無事に終わらせることができました。

「お金をもらって終わり」ではなく、相乗効果の生まれる「複業」を

と3年間の副業生活を振り返ってきましたが、文章を書く過程で私が改めて感じたのは、単に副収入が得られるというだけでないメリット。
当時に読んで影響を受けた「25歳からのひとりコングロマリットという働き方」(おちまさと)という本の一節を借りて説明すると・・

「本業と副業」という言葉がよく使われますが、複業時代のひとりコングロマリットという働き方は、それとも違います。
会社に勤めながらいくつか仕事を持っていたとしても、ひとりコングロマリットの場合、それらは「本業と複業」ではなく、全部まとめて「複業」なのです。

同書で言う「副業」は“足し算”の仕事。
収入が多少増えるだけで、それ以上の広がりは生まれません。

一方、「複業」は“かけ算”の仕事。
自分の新しい能力が引き出されたり、出会いや可能性が広がったりするという効果も生まれます。

私の場合は、メリット2・3で書いたように知識・ノウハウや人脈面で相乗効果があったり、メリット4・5のように将来への布石になったりしたことが、時間的にはしんどい中でも有意義な実感を得て、3年間副業を続けられた要因かもしれません。
それぞれが持つ「好き」や「専門性」を活かして、それら掛け合わせて多様な価値が生まれる社会になると素敵だな、と副業体験記の筆を置かせていただきます。

21世紀の「家内制手工業」!?夫婦で一緒に仕事をする3つのメリットと、3ヶ月間の試行錯誤で分かったこと

「今度は、山内君にこれをお願いしたいんだよね」

独立直後から取引をさせてもらっている、クライアントの社長からご相談をいただいたのは、2016年の夏のことでした。
社長のアイデアは個人的にも好きですし、継続して任せてもらえるのが嬉しくて「期待に応えたい!」という気持ちはあったものの、当時は他のクライアントからもご相談が増え、仕事が受けきれなかった状況。

新しくチャレンジする分野で毎月に納品をできるような時間が取れなさそうで、困っていました。

そんな時にひらめいたのが、「妻に手伝ってもらえばできるんじゃないか!?」でした。

「妻にアウトソースしよう!」思いつきが実現に至るまで

そのお仕事とは、通販の同梱物(定期顧客向けに刊行する冊子)の企画制作、主にライティング。

・ちょうど妻が関連する製品を愛用していたこと
・ライターや制作の経験はないものの、かなりの読書家で文章が上手なこと
・育児の合間にもできそうなスケジュール・分量だったこと

もあって、1歳児を育てながら専業主婦をしている妻に相談したところ、心配そうな表情を浮かべながらも一応「やってみたい」とのこと。(若干、「言わせた」感が残りつつも、、)本格的に調整していくことにしました。

クライアントの社長に、「実は社員、えっと妻ですが、、に書いてもらおうと思ってまして。私がクオリティを担保するので云々〜〜」とどもりながら相談したところ、二つ返事で「いいよ!」とのこと
パートナーの団体さんにも(たぶん)快諾をいただき、妻がライター兼運用窓口、僕がディレクターとして取り組ませてもらうことに。

いつぞや歴史の教科書に出てきた「家内制手工業」(=江戸時代とかに機械設備なしの手仕事で家族生産していた工業)に、なんだか似ているなぁと一人ニヤリとして、ブログのタイトルに入れさせていただきました。

フリーランサーが夫婦で仕事を受ける、3つのメリット

このお仕事、今は3ヶ月目の納品を終えて、いったんの契約期間の半年間に向けて、おかげさまで大きなトラブルはなく進行しています。
これを機に、夫婦で仕事をするメリットを3つまとめてみました。

メリット 1: 会社(自分)にとって信頼できるパートナーに

1つ目のメリットは、リソースが助かることです。

社員を雇わずに仕事をしている方なら、事業が順調に進むとぶつかりやすいのが「リソースの壁」。

「だったら外注すれば良いのでは!?」と言っても非定型な仕事の場合は簡単ではなく、クオリティ・コストの面で合い、なおかつ信頼ができる方を見つけるのは難しいもの。
さらに一定の規模と継続性がないと、コミュニケーションコストの方が大きくなってしまい、アウトソースのメリットが出なくなってしまいがちです。

その点、夫婦だと人間的には一番信頼できる関係ですし、自宅で打合せをできるのでコミュニケーション・コストがかからないのもメリット。
クオリティの面では、妻は制作やライティングの仕事をした経験はなかったものの、↑で述べたように素養はあったので、僕がフォローすることで何とか回せています。
(僕では思いつかないような、生活者視点での企画や表現も!)

メリット2: 家族にとっての節税効果

2つ目のメリットが、給料が税務上の「経費」にできることです。

僕は会社を立てて、そこから給料をもらうという形式にしていますが、妻に手伝ってもらっている分も、会社から妻への給料に。
その給料は、会社にとって「経費」として落とすことができます。

経費になれば、その分の金額が会社の利益から減るわけで、納税額も少なくなります。
さらに個人事業主ではなく法人にしていれば、妻が個人として給与を受け取る時にも、給与控除が発生するため課税所得がマイナスになる効果も。
個人事業主の専従者控除と比較した時のメリット/デメリットは、ちゃんと比較できていませんが)

ちなみに、その分は単純に家計に入るというよりは、モチベーションの観点から「〇〇を買おう」「子どもの音楽教室の費用にしよう!」といった話も。

メリット3:妻個人にとって、仕事復帰の慣らし運転に!?

3つ目が、妻個人にとってのキャリア面でのプラスの効果です。

現在は専業主婦で、「子どもが大きくなったら働きに出たい」と考えているものの、出産前からのブランクを取り戻せるか?は見えづらい状況。
そんな時に、フルタイムではない(=月に10時間くらい?)、在宅勤務が可能な仕事(=ノートPCさえあればOK)ができれば、慣らし運転としては適切なのでは。

一度会社を辞めてしまった主婦が、フルタイムでない仕事を探すとなると、時短勤務で雇ってもらえる会社を見つけるのは難しく、パートタイムで時給1000円以下とかで働かざるを得ないことも。
さらに在宅勤務となると、「クラウドソーシングで、単価数百円の仕事を受ける」とかにになりがちですが、それよりはよっぽど時間単価が高く、また創造性が発揮しやすい仕事にできているのでは!?と、僕の目線だけでは感じています。

3ヶ月間回して実感した、難しさも・・

とメリットばかりを並べてみましたが、3ヶ月間実験してみて感じた難しさも。

妻は、ホテルのフロント→海運会社のオペレーション→IT企業の秘書という経歴なので、企画や制作の仕事は初めてだったというのもあるかもしれませんが、慣れない仕事を夫婦で進めるうえで課題もいくつか出てきました。

たとえば、時間と体力面。

1歳の子どもを育てながらだと、仕事に取り掛かるのは、子どもが寝た後になってしまいがち。
慣れない仕事に、納品前は寝不足になってしまうなど、苦労をかけたこともありました。

このままでは妻の自由時間がさらに短くなってしまうので、「一時保育の活用」や「生産性のアップ」など改善していこうとしています。

もう1つは、夫婦間のコミュニケーションとクオリティ担保。

長い付き合いといえども、ビジネスでの仕事を一緒にするのは初めて。
勤めてきた業界やカルチャーも違うので、お互いの仕事の仕方を合わせるのに苦労しました。

成果物にフィードバックしたり、スケジュール管理をしたりしつつ、「詰める」というわけではないつもりですが(汗)、なんだかぎくしゃくしてしまうことも。
別の仕事でお付き合いのある方(=独立して広告運用を請け負っている)からは、「初めは妻に手伝ってもらっていたけど、仕事のことでケンカになってしまうのが嫌だったので、手伝ってもらうのはやめたんですよ」との体験談も。

僕もあまりガチになりすぎないように&期待クオリティは満たすようなバランスをとりつつ、とはいっても仕事以外でも今後いろいろと乗り越えていく必要が出てくるので、そのための試金石として試行錯誤していければと考えています。

「独立」「副業」、または「職場復帰」といった方の参考になれば

とこれまで大ゲサに(?)まとめてみましたが、このように妻に手伝ってもらう仕事のやり方は、いったんは今のプロジェクトのみに。

総務や経理などは手伝ってもらいつつも、他の仕事は特殊なスキルが必要&切り離しにくいという事情があるために、引き続き僕個人でやっていく予定です。

(リソースの壁を打破するためには、どちらかというとクライアント内部との役割分担の調整や、パートナー企業との協業、個人の生産性アップ、といった方向性を重視していきたい。あと、そんなに仕事を受けすぎない・・w)

これまでに、「夫がデザイナー」「妻が営業」と分業してデザイン事務所をされている方や、プロジェクトやメディアを一緒にやられているご夫婦などのお話を伺って、個人的に学びや刺激をいただいてきました。
あと考え方としては、小室淑恵さんと駒崎弘樹さんの書かれた「ワーキングカップルの人生戦略 ― 2人が「最高のチーム」になる、という本にも。

独立して仕事をしている方や副業を始める方、または専業主婦で仕事復帰を目指されている方などに、何かちょっとは役に立てないかな!?と、僕も体験を棚卸ししてみました!

「しっかりせい、DeNA」!寄せ書きサイトにあらわれた、“卒業生ネットワーク”の本当の意味

「しっかりせい、DeNA」と、DeNAにかつて在籍された方々がメッセージを寄せてできたサイト

「DeNAが世間の耳目を集めている。悪い意味で。卒業生として、今回の事件は、大変残念だ。悔しい。「問題の大きさに身が震える。」と始まった書き出しに興味を惹かれ、そして以下の趣旨で語られるエピソードがそれぞれ熱にあふれていて、読みふけってしまいました。

私たちが愛するDeNAが、直すべきところはしっかり直し、それでも卑屈になることなく、堂々と強みとして生かして、変わっていかれるように、願いを込めてメッセージを送ります。

きっと批判も出ると思うし(netgeekには、さっそく揶揄する記事が出てたw)、件の問題については論じないですが、会社を辞めた少ない方々が、自分が逆風にさらされるリスクをおっても実名で応援するのはすごいなと思いました。

特にLITALICO取締役の中俣さんという方が書かれた記事には、創業者の南場さんに厳しくも温かく育ってもらったエピソードもつづられていて、面白く心動かされました。
(かつて読んだ「不格好経営」にほとばしっていた熱を思い出した)

そんなDeNAの「卒業生」の方々が書かれた、古巣への熱い想いを読んで、ふと思い出したのが「アライアンス」という本です。

「アライアンス」で説かれた、「卒業生ネットワーク」とは?

同書で描かれている「アライアンス」とは、従来の終身雇用に変わり、シリコンバレーで実践されている新しい雇用の考え方。
「人は企業とではなく仕事と契約し、かつ企業とも信頼で結びつく。」

リンクトインの創業者らが、組織と従業員の新しい関係性を提唱していますが、そのなかで重要性が説かれているのが、「卒業生ネットワーク」の構築です。

ある企業の「卒業生」があちこちでプロフェッショナルとして成功を収めれば、その「卒業生」ネットワークは会社に役立つ貴重な資産となる。
たとえばマッキンゼーの名声もビジネスも、その多くは同社の強力な「卒業生」ネットワークから生まれている。
ネットワーク情報収集力や優れた人材の紹介、時には売上げまでも同社にもたらしてくれるのだ。

退職した社員が、その会社に在籍していたことを誇りに思い、退職後も会社と結びつきを保ったり、周囲に会社について発信したりしてくれれば、「優れた人材の獲得に貢献してくれる」や「有力な情報をもたらしてくれる」、「顧客を紹介してくれる」「ブランドアンバサダーになる」といったメリットが出ると、紹介されています。

そんなメリットが認識されてか、アメリカではコンサルティングや会計事務所などの専門サービス業界を中心に、卒業生ネットワークの構築に力を入れて企業が増えているとのこと。
OB/OGのキャリア支援・人材紹介のためにスタッフを付けるなど、投資をしています。

P&Gなどでは、会員数25,000人を超えるコミュニティが、非公式に立ち上がっているそう。
日本でもリクルート系の企業など、OB/OGを招いたイベントが開かれている例を見聞きしたことがあります。

3社のうち2社は、今も外部から仕事をサポート

「卒業生ネットワーク」は、会社に利益をもたらすだけではなく、卒業した個人にとってもメリットを与えてくれます。
先ほど挙げた、「顧客の紹介」や「情報ネットワーク」などは、会社だけでなくそのまま個人にも当てはまりますね。

僕自身の経験を振り返ってみても、この「卒業生ネットワーク」には大いに助けてもらっています。

僕は新卒で大手電機メーカー(三洋電機)に就職してから独立するまで、ベンチャー広告代理店(ファインドスター)→NPO法人(カタリバ)と3社を経験しました。
それぞれの会社でご一緒して、退職をしてから今もお付き合いが続いている方も多く、「良い会社に入れた!」「人の縁に恵まれたな」と月並みですがつくづく感じます。

それだけでなく直近の2社とは、フリーランスとして独立した今も社外から仕事をお手伝いさせてもらっています。
さらには、かつての上司や経営者の方からお仕事を紹介していただいたり、逆に、僕もクライアントをつないだりと、フルタイムで働いているわけではない今も、良い関係を築かせてもらっていると(勝手に)思っています。

在職中は、組織体制に意見(文句)を言ったり、従業員同士のコミュニティになじめなかったりとw、どの組織でも決して「優等生」とは言えなかったですが、それでも温かく送り出してくれたこと。
オープンな組織文化を築き、そして心を配ってくださっている経営陣や社員の方々に、(こっそり)感謝しています。

理念や行動指針を共有していた仲間とは、高スピードで安心して仕事ができる

特にファインドスターグループでお世話になった方々とは、今もさまざまな方面で関わらせてもらっています。
ファインドスターの仕事で関わらせてもらっているのはもちろん、別の仕事で力を貸してもらったり、そうでなくても情報交換したりなどなど。

・会社で働き続けている人
・スピンアウトしてグループ会社を経営している人
・別の会社に転職した人
・起業した人

各方面に散らばっていますが、かつて理念や行動指針(Bestar)やダイレクトマーケティングへの考え方を共有して仕事をしていたから、コミュニケーションのスピードが早くて間違いが起こりにくい。
また、ネットワークのなかでそれぞれ評判資産があるので、仕事をお願いするのも安心です。

「同じ釜の飯を食った」人たち、そして「また一緒に仕事をしたい!」と想いを温めてきた人たちと一緒に何かをつくっていけるのは、嬉しいことです。
(ファインドスターグループが掲げる「100社1000人」構想に、微力ながらも貢献したいところ)

定年まで働くのを前提にしなくても、会社と信頼関係を築ける。新しい働き方の文化を

と冒頭のエピソードから、とだいぶ話が広がってしまいましたが、今回DeNAの卒業生が立ち上がったこと。

利害関係のない元社員の方々が会社への愛を込めて、そして真摯に状況を受け止めてメッセージを発することは、会社の評判が「地に落ちた」と言える状況のなかで、ブランドの回復に貢献するかもしれません。
少なくとも僕は、「こんな風に体を張って応援してくれるOB/OGの方々がいて素敵だな」「いろいろ問題が起こったけど、良い会社なんだろうな」と感じました。

最後に、「アライアンス」に載っていた共感する一節を。

社員が別の会社に転職した後でも、元の会社と引き続き互恵的な関係を保っていける。
そのような世界、そのような働き方の文化は、すでにシリコンバレーに出現している。
そして我々は、こうした働き方の原則があらゆる産業に、そして世界中に広がるはずだと考えている。

監訳者の篠田さんが書かれた前書きの文章「定年まで働くことを前提にしなくても会社と信頼関係を築けること、転職後もかつての会社と円満な関係を続けられること、そして中途退職者のネットワークに参加することのメリットを私は実感してきました(後略)」も素敵です。

組織と個人の新しい関係、これからどんな社会が出現していくか興味があるし、僕自身も新しい関係を切り開いていく開拓者でありたいなと考えています。

麻布出身OBが、20年後にやっと気づいたこと ー大企業のレールから外れて生きるために大切なことは、中高時代に教わった ー

私立麻布中学校・高等学校。

1994年から2000年までの6年間。
制服もない、校則も(ほとんど)ないという、まるで大学みたいな自由な学校に、中高6年間、通わせてもらいました。

勉強をサボっても、髪の毛を金色に染めてしまったときも、先生方に叱られたことはありません。
建学の精神である「自主・自立」どおりに、やりたいことを伸び伸びとさせてもらいました。

通っていたときは、何かを「教わった」という実感は正直まるでなくて、でも中高時代に身につけた考え方が「大学や会社で役に立った」「麻布に入って良かった」とはなんとなく思っていました。
この本を読んだのをきっかけに、たくさんのことを教わったことに改めて気づいた(=言語化できた)ので、筆をとらせてもらいました。

僕の場合は、卒業後に以下のようなキャリアをたどってきました。
だんだんと小さな組織に移っていくのにともない、大企業という“レール”からははずれてしまって、仕事をしています。

・1994年〜 麻布高校卒業
・2000年〜 東京大学文科Ⅰ類→教養学部
・2005年〜 大手電機メーカー
・2007年〜 広告代理店ベンチャー企業
・2011年〜 教育NPO法人
・2014年〜 フリーランスとして独立

そんな不確実な環境で自らの腕を頼りに船をこいでいくために、麻布で身につけさせてもらった3つの習慣が、とても役に立ったと考えています。

1.知識の受け売りでなく、自分の頭で考えるということ

「あなたはどう考えるのか?」

在学中の試験やレポートなどで、この問いを常に投げかけられていたのを思い出しますが、初めに洗礼を浴びたのが「中学受験」の入試問題でした。

たとえば、「ドラえもんが生物として認められないのは、なぜでしょうか?」(理科)や「1950年代の『3種の神器』から60年代の『3C』へと、家電製品の変化によって、人々の生活はどのように代わりましたか?」(社会)など、知識だけでは解答できない問題、生徒自身の考えを問う問題が出題されます。

その学校の教育スタイルが表れる入試で、このような問題を出す意図を先生に尋ねると、「知識がたくさんあってもそれは偉くもなんともなくて、その知識をどう活かしていくのか、どう自分を表現するのか、ということを求めています。『こんなに覚えました』というのは、麻布では評価しません。」(同書37ページより)とのこと。

同書に登場している麻布OB、現在は財務省で活躍している嶋田さんが、「入省してから、自分が麻布出身だと思わされたこと」を答えているのを読んで、「うんうん!」と頷いてしまいました。

同僚で帰国子女の女性がいるんですが、彼女から「日本人で優秀とされる人はある制約条件下で最適な道はこれ、という議論が得意なのに、嶋田君はまずその制約条件とか前提をひっくり返そうとするよね」って言われて、ほうと思いました。
前提とされているものを疑うところから始めてみる、というのは麻布で教育を受けた恩恵だと思います。(同書191ページより)

2.他の人と違っているのは、良いことだということ

ある在校生(高1)は「麻布生の特徴」について聞かれて、次のように答えています。

「普通というか、一般的なことがあんまり好きじゃないと思います。普通じゃないことがかっこいいって思ってる人が、僕も含めて多いと思います。」
(普通はかっこ悪い?)
「かっこ悪いってわけじゃないんですけど、結構個性の強い人が多いと思うんで、そういう人がいっぱいいるなかで自分が埋没しないように、ちょっと違った感じを目指していると思うんですよね。」(同書95ページより)

思わず苦笑してしまったのですが、「変わっていることは、かっこいい」「普通すぎるのはダサい」というのが、麻布の生徒は共通して(=運動部など活発な生徒から、オタクなどおとなしい生徒まで)持っていた価値観と思います。

僕が新卒で勤めた大手電機メーカーもそうでしたが、日本の伝統的な大企業は、同調圧力が強い組織です。
もちろんビジネスのうえでは、“革新的な提案”や“新しい価値づくり”が求められるのですが、「周りと同じが無難」「空気を読んで事を荒立てない」が良しとされる組織風土になじんでしまうと、既存の価値観を崩すような行動はなかなかできないものです。

そんななかで、麻布生で活躍している人は、良い意味で「空気を読まず」に、他の人とやり方は違っていてもいいから、自分の強みを際立たせて動いている人のように思います。

3.「自由には、責任が伴う」ということ

最後は、麻布の代名詞のようにうたわれる「自由」について。

「麻布とは単に『自由な学校』なのではない。『人生を自由に生きる術を伝承する学校』なのだ」

僕がこの本を知ったきっかけ、Facebookから読んだ記事(「『謎』の進学校麻布の教え」)に書かれていたフレーズに強く共感しました。
その一節を、少し長くなりますが紹介させてもらいます。

「自由」とは、何事も他人のせいにはできないということ。それが大変心地いい。
常に自由でいると、人生における瞬間瞬間に、「今、自分はほかの誰でもない自分の人生を生きている」という緊張感と満足感を味わうことができる。
だから人生が何倍にも濃密で刺激的なものとなる。麻布とはそういう自律的な人生を送るための術を授ける学校なのだと私は思う。そして私自身が、今、めいっぱいその恩恵にあずかって生きていることを感じている。ただし、「自由」とは「諸刃の剣」のようなものである。
「自由」とは魅力的かつ大変危険なものなのだ。
そのことは麻布関係者なら、みな承知だろう。

そして麻布とは、大胆にも、人類がいまだ使いこなせていない「自由」を使いこなせる人間を育てようとしている学校だと私は思う。
江原素六は、自らが乱世の中で身につけた「人生を自由に生きる術」を青年たちに伝えていくことで、100年経っても200年経ってもいいから、みんなが自由に生きられる理想の社会を実現したいと思って、麻布を開いたに違いない。
麻布とは、「人類は『自由』を使いこなせるのだろうか」という壮大なテーマに挑む実験室なのだと私は思う。
麻布の教育はいわば「危険な実験」なのだ。

麻布では人類史上もっとも「魅力的だが危険なもの」である「自由」を、まず生徒たちに触らせる。
初めて包丁を握った子どもを傍らで見ている親のハラハラ・ドキドキ感を想像すれば、それがどれだけ心臓に悪いことであるかがわかるのではないかと思う。
そして当然ケガもする。
麻布においてときどき起こるトラブルは、自由の取り扱い方を間違えたための事故であるといえるだろう。
麻布のすごいところはそこからだ。すぐに手をさしのべるのではなく、自力で立ち上がるのを待つ。
これがどれだけ忍耐のいることか、自らも親となり、不惑の年を迎えた今ならわかる。
このことを思うと、卒業して20年以上が経って、いまさらながら、先生たちに感謝したくなるのである。

冒頭で述べたとおりに、麻布で何かを「教わった」という実感は、特に在校中はほとんどありませんでした。
でも、中1の頃に聞いて、今でも強く心に残っている言葉があって、それは「自由には、責任が伴う」でした。

「自分は何をやりたいのか?」を常に問われた(=強制がないので、問われているように感じた)こと。
自由の裏返しとして、決めたことは「自分ごと」として臨まざるを得なかったこと。

働き始めてから、そして特にフリーランスになった今。
「自由」の快適さと怖さを感じられる環境にいられたことに、ありがたさを強く感じています。

今回は良い面だけを書きましたが、もちろん悪い面もあるので、「自分の子どもを麻布に入れたいか?」と聞かれると、正直迷ってしまいます。
でも、今回書いたような麻布で身につけたマインドセットは、特に「個人」として働いていくうえで、かけがえのない財産になったと強く実感しているし、これから産まれてくる我が子にもぜひ伝えたいと願っています。

花形の部署に配属されなかった方のための、「傍流」キャリアの歩み方

2005年に新卒で就職して、フリーランスとして独立するまでの10年間、3つの組織で働いてきました。

・1〜3年目:大手電機メーカー(広報・CSR)
・3〜7年目:広告代理店ベンチャー(マーケティング)
・7〜10年目:教育NPO(広報・ファンドレイジング)

業種はそれぞれバラバラだし、組織のなかでも決して主流ではない部門にいたので、「このままで、いいのかな?」と思うこともあったのですが、「この道で行こう!」となんとか自信をもって歩んでいけたのは、節目節目でこの本を何度か読んで力をもらっていたからかもしれません。

著者の高橋俊介先生は、東大→国鉄→マッキンゼーを経て、世界有数の人事組織コンサルティング会社「ワトソンワイアット」の日本法人社長を勤められた方。
現在は慶應義塾大学大学院で教授に就いて、日本におけるキャリア論の第一人者の一人です。

この本では、「幸せのキャリアを自分で切り開こうとしている人たちは、どのような判断基準で考え、どのような価値観で行動しているのか?」を、彼が多数のビジネスパーソンにインタビューするなかで7つの特徴を見いだしています。

1. 「横並び・キャッチアップ」ではなく、「差別性・希少性」をねらう
2. 「同質経験」ではなく、「異質経験」を活かす
3. 「過去の経験」にこだわるのではなく、「今後の動向」に賭ける
4. 「指導してもらえる」のではなく、「好きなようにできる」を重視する
5. 「社会的自己意識」ではなく、「私的自己意識」にこだわる
6. 「合理的判断」ではなく、「直感」を大事にする
7. 「会社の論理」ではなく、「職業倫理」にもとづいて行動する

たとえば1つ目。
幸せなキャリアを切り開こうとしている人は、横並びやキャッチアップについてはあまり関心がなく、自らの差別性・希少性を重要視していると言います。

現在、アメリカ系のネット企業に勤めているある人物は、ERP(全社的業務管理)がまだ一般的に普及する以前にその仕事につき、当時としてはまだ珍しかった資格にいち早く目をつけて取得した。それが、転職に有利に働き、その後、社内で立ち上がった最先端分野のプロジェクトメンバーに選抜される際の大きな決め手となった。
前章で紹介した広告代理店のHさんも、三年目研修で動機の活躍をみて、本流から明らかに外れている自分に気づき自費留学したが、帰国後は本流を追わずに、先端外資系企業を担当することで実績を出し、自らの差別性を高めていった。
本流から外れたり、出遅れたりした場合、キャッチアップするのではなく、あえてキャリアを横に振って、希少性や差別性をねらうという発想は、今回インタビューした人たちの間に多く見られた。(同書136ページより)

僕も、会社にとって「メイン・ストリーム」ではないキャリアをずっと歩んできました。

2社目の広告ベンチャーでは、営業として入社したのですが、テレアポでアポがとれず、訪問してもまったく売れず、営業しては全然ダメでした。
そのまま営業として頑張るという選択肢もあったのですが、「ここで勝負しても、自分の得意なところを活かせないし、他の人たちに勝てない」と思って、入社して4年目で新設するマーケティングの部署に異動を申し出て、運良くそれが叶いました。

新しい部署の仕事では、「ダイレクト・マーケティング」というBtoCの分野では確立していた手法をBtoBに応用して、検索エンジン集客や郵送・FAXによるDMなどを使って、営業の新規開拓のための見込み客の獲得を行いました。
まだ決まった「勝ちパターン」が確立していないところというのもあって、勉強したことや考えたことを自由に提案して、思ったとおりに実行することができました。
その分、失敗することもたくさんありましたが、うまくいったときはインパクトのある成果を出しやすく、昇給昇格も早いペースでできました。

では、このような傍流のキャリアで結果を出すためには、何が必要か?
それは、先ほどの7つの特徴の2つ目、「異質経験」を活かすことかもしれません。

異質経験を活かすとは、「その職種において、自分以外の人は持っていないような異質な経験をうまく活かしてキャリアをつくり込んでいこうとする発想」のことです。
同書に載っていた、転職者のケースを紹介します。

日本の家電業界でコスト管理の仕事をしながら、同時に、個人的にネット関係に興味をもち、趣味と実益を兼ねて、仕事においてもネットを活用する方向に膨らませていった。
その後、典型的なシリコンバレー系の大手ソフト会社に転職した。
それは、ネット関係のスキルがあったからこそ可能だったのだが、その会社に入って、非常に役立ったのは、むしろ、前の会社でのコスト管理のスキルだった。
アメリカのシリコンバレーのソフ制作には意外にもコスト管理のスキルが弱く、前職での異質経験が非常に希少価値になったのだ。(同書138ページより)

僕の場合も、3社目の教育NPOでは2社目で培った「ダイレクトマーケティング」の経験が大いに役立ちました。

担ったミッションは、被災地の子どもたち等のために、寄付を獲得すること。
「ランディングページ(LP)をつくって、広告からアクセスを流入させて、新規顧客を獲得する」や「データベースをもとに既存顧客をセグメントして、メール・郵送などでフォローする」など、企業ではある意味“当たり前”の施策を行ったのですが、競合となる非営利団体ではそこまで導入されていないため、責任者となった部門の寄付額(企業でいう売上)を大きく伸ばすことができました。

「非営利機関」と「ダイレクトマーケティング」という、まったく異質に思える2つの組み合わせだからこそ、価値を生むことができたと実感しています。

3つ目以降の、「今後の動向に賭ける」や「好きなようにできるを重視する」、「私的自己意識にこだわる」なども面白いのですが、このあたりで。
特に20代の方にとってはとても参考になると思うので、興味がある方はぜひ手にとられてみてください!