私立麻布中学校・高等学校。
1994年から2000年までの6年間。
制服もない、校則も(ほとんど)ないという、まるで大学みたいな自由な学校に、中高6年間、通わせてもらいました。
勉強をサボっても、髪の毛を金色に染めてしまったときも、先生方に叱られたことはありません。
建学の精神である「自主・自立」どおりに、やりたいことを伸び伸びとさせてもらいました。
通っていたときは、何かを「教わった」という実感は正直まるでなくて、でも中高時代に身につけた考え方が「大学や会社で役に立った」「麻布に入って良かった」とはなんとなく思っていました。
この本を読んだのをきっかけに、たくさんのことを教わったことに改めて気づいた(=言語化できた)ので、筆をとらせてもらいました。
僕の場合は、卒業後に以下のようなキャリアをたどってきました。
だんだんと小さな組織に移っていくのにともない、大企業という“レール”からははずれてしまって、仕事をしています。
・1994年〜 麻布高校卒業
・2000年〜 東京大学文科Ⅰ類→教養学部
・2005年〜 大手電機メーカー
・2007年〜 広告代理店ベンチャー企業
・2011年〜 教育NPO法人
・2014年〜 フリーランスとして独立
そんな不確実な環境で自らの腕を頼りに船をこいでいくために、麻布で身につけさせてもらった3つの習慣が、とても役に立ったと考えています。
1.知識の受け売りでなく、自分の頭で考えるということ
「あなたはどう考えるのか?」
在学中の試験やレポートなどで、この問いを常に投げかけられていたのを思い出しますが、初めに洗礼を浴びたのが「中学受験」の入試問題でした。
たとえば、「ドラえもんが生物として認められないのは、なぜでしょうか?」(理科)や「1950年代の『3種の神器』から60年代の『3C』へと、家電製品の変化によって、人々の生活はどのように代わりましたか?」(社会)など、知識だけでは解答できない問題、生徒自身の考えを問う問題が出題されます。
その学校の教育スタイルが表れる入試で、このような問題を出す意図を先生に尋ねると、「知識がたくさんあってもそれは偉くもなんともなくて、その知識をどう活かしていくのか、どう自分を表現するのか、ということを求めています。『こんなに覚えました』というのは、麻布では評価しません。」(同書37ページより)とのこと。
同書に登場している麻布OB、現在は財務省で活躍している嶋田さんが、「入省してから、自分が麻布出身だと思わされたこと」を答えているのを読んで、「うんうん!」と頷いてしまいました。
同僚で帰国子女の女性がいるんですが、彼女から「日本人で優秀とされる人はある制約条件下で最適な道はこれ、という議論が得意なのに、嶋田君はまずその制約条件とか前提をひっくり返そうとするよね」って言われて、ほうと思いました。
前提とされているものを疑うところから始めてみる、というのは麻布で教育を受けた恩恵だと思います。(同書191ページより)
2.他の人と違っているのは、良いことだということ
ある在校生(高1)は「麻布生の特徴」について聞かれて、次のように答えています。
「普通というか、一般的なことがあんまり好きじゃないと思います。普通じゃないことがかっこいいって思ってる人が、僕も含めて多いと思います。」
(普通はかっこ悪い?)
「かっこ悪いってわけじゃないんですけど、結構個性の強い人が多いと思うんで、そういう人がいっぱいいるなかで自分が埋没しないように、ちょっと違った感じを目指していると思うんですよね。」(同書95ページより)
思わず苦笑してしまったのですが、「変わっていることは、かっこいい」「普通すぎるのはダサい」というのが、麻布の生徒は共通して(=運動部など活発な生徒から、オタクなどおとなしい生徒まで)持っていた価値観と思います。
僕が新卒で勤めた大手電機メーカーもそうでしたが、日本の伝統的な大企業は、同調圧力が強い組織です。
もちろんビジネスのうえでは、“革新的な提案”や“新しい価値づくり”が求められるのですが、「周りと同じが無難」「空気を読んで事を荒立てない」が良しとされる組織風土になじんでしまうと、既存の価値観を崩すような行動はなかなかできないものです。
そんななかで、麻布生で活躍している人は、良い意味で「空気を読まず」に、他の人とやり方は違っていてもいいから、自分の強みを際立たせて動いている人のように思います。
3.「自由には、責任が伴う」ということ
最後は、麻布の代名詞のようにうたわれる「自由」について。
「麻布とは単に『自由な学校』なのではない。『人生を自由に生きる術を伝承する学校』なのだ」
僕がこの本を知ったきっかけ、Facebookから読んだ記事(「『謎』の進学校麻布の教え」)に書かれていたフレーズに強く共感しました。
その一節を、少し長くなりますが紹介させてもらいます。
「自由」とは、何事も他人のせいにはできないということ。それが大変心地いい。
常に自由でいると、人生における瞬間瞬間に、「今、自分はほかの誰でもない自分の人生を生きている」という緊張感と満足感を味わうことができる。
だから人生が何倍にも濃密で刺激的なものとなる。麻布とはそういう自律的な人生を送るための術を授ける学校なのだと私は思う。そして私自身が、今、めいっぱいその恩恵にあずかって生きていることを感じている。ただし、「自由」とは「諸刃の剣」のようなものである。
「自由」とは魅力的かつ大変危険なものなのだ。
そのことは麻布関係者なら、みな承知だろう。
そして麻布とは、大胆にも、人類がいまだ使いこなせていない「自由」を使いこなせる人間を育てようとしている学校だと私は思う。
江原素六は、自らが乱世の中で身につけた「人生を自由に生きる術」を青年たちに伝えていくことで、100年経っても200年経ってもいいから、みんなが自由に生きられる理想の社会を実現したいと思って、麻布を開いたに違いない。
麻布とは、「人類は『自由』を使いこなせるのだろうか」という壮大なテーマに挑む実験室なのだと私は思う。
麻布の教育はいわば「危険な実験」なのだ。
麻布では人類史上もっとも「魅力的だが危険なもの」である「自由」を、まず生徒たちに触らせる。
初めて包丁を握った子どもを傍らで見ている親のハラハラ・ドキドキ感を想像すれば、それがどれだけ心臓に悪いことであるかがわかるのではないかと思う。
そして当然ケガもする。
麻布においてときどき起こるトラブルは、自由の取り扱い方を間違えたための事故であるといえるだろう。
麻布のすごいところはそこからだ。すぐに手をさしのべるのではなく、自力で立ち上がるのを待つ。
これがどれだけ忍耐のいることか、自らも親となり、不惑の年を迎えた今ならわかる。
このことを思うと、卒業して20年以上が経って、いまさらながら、先生たちに感謝したくなるのである。
冒頭で述べたとおりに、麻布で何かを「教わった」という実感は、特に在校中はほとんどありませんでした。
でも、中1の頃に聞いて、今でも強く心に残っている言葉があって、それは「自由には、責任が伴う」でした。
「自分は何をやりたいのか?」を常に問われた(=強制がないので、問われているように感じた)こと。
自由の裏返しとして、決めたことは「自分ごと」として臨まざるを得なかったこと。
働き始めてから、そして特にフリーランスになった今。
「自由」の快適さと怖さを感じられる環境にいられたことに、ありがたさを強く感じています。
今回は良い面だけを書きましたが、もちろん悪い面もあるので、「自分の子どもを麻布に入れたいか?」と聞かれると、正直迷ってしまいます。
でも、今回書いたような麻布で身につけたマインドセットは、特に「個人」として働いていくうえで、かけがえのない財産になったと強く実感しているし、これから産まれてくる我が子にもぜひ伝えたいと願っています。