花形の部署に配属されなかった方のための、「傍流」キャリアの歩み方

2005年に新卒で就職して、フリーランスとして独立するまでの10年間、3つの組織で働いてきました。

・1〜3年目:大手電機メーカー(広報・CSR)
・3〜7年目:広告代理店ベンチャー(マーケティング)
・7〜10年目:教育NPO(広報・ファンドレイジング)

業種はそれぞれバラバラだし、組織のなかでも決して主流ではない部門にいたので、「このままで、いいのかな?」と思うこともあったのですが、「この道で行こう!」となんとか自信をもって歩んでいけたのは、節目節目でこの本を何度か読んで力をもらっていたからかもしれません。

著者の高橋俊介先生は、東大→国鉄→マッキンゼーを経て、世界有数の人事組織コンサルティング会社「ワトソンワイアット」の日本法人社長を勤められた方。
現在は慶應義塾大学大学院で教授に就いて、日本におけるキャリア論の第一人者の一人です。

この本では、「幸せのキャリアを自分で切り開こうとしている人たちは、どのような判断基準で考え、どのような価値観で行動しているのか?」を、彼が多数のビジネスパーソンにインタビューするなかで7つの特徴を見いだしています。

1. 「横並び・キャッチアップ」ではなく、「差別性・希少性」をねらう
2. 「同質経験」ではなく、「異質経験」を活かす
3. 「過去の経験」にこだわるのではなく、「今後の動向」に賭ける
4. 「指導してもらえる」のではなく、「好きなようにできる」を重視する
5. 「社会的自己意識」ではなく、「私的自己意識」にこだわる
6. 「合理的判断」ではなく、「直感」を大事にする
7. 「会社の論理」ではなく、「職業倫理」にもとづいて行動する

たとえば1つ目。
幸せなキャリアを切り開こうとしている人は、横並びやキャッチアップについてはあまり関心がなく、自らの差別性・希少性を重要視していると言います。

現在、アメリカ系のネット企業に勤めているある人物は、ERP(全社的業務管理)がまだ一般的に普及する以前にその仕事につき、当時としてはまだ珍しかった資格にいち早く目をつけて取得した。それが、転職に有利に働き、その後、社内で立ち上がった最先端分野のプロジェクトメンバーに選抜される際の大きな決め手となった。
前章で紹介した広告代理店のHさんも、三年目研修で動機の活躍をみて、本流から明らかに外れている自分に気づき自費留学したが、帰国後は本流を追わずに、先端外資系企業を担当することで実績を出し、自らの差別性を高めていった。
本流から外れたり、出遅れたりした場合、キャッチアップするのではなく、あえてキャリアを横に振って、希少性や差別性をねらうという発想は、今回インタビューした人たちの間に多く見られた。(同書136ページより)

僕も、会社にとって「メイン・ストリーム」ではないキャリアをずっと歩んできました。

2社目の広告ベンチャーでは、営業として入社したのですが、テレアポでアポがとれず、訪問してもまったく売れず、営業しては全然ダメでした。
そのまま営業として頑張るという選択肢もあったのですが、「ここで勝負しても、自分の得意なところを活かせないし、他の人たちに勝てない」と思って、入社して4年目で新設するマーケティングの部署に異動を申し出て、運良くそれが叶いました。

新しい部署の仕事では、「ダイレクト・マーケティング」というBtoCの分野では確立していた手法をBtoBに応用して、検索エンジン集客や郵送・FAXによるDMなどを使って、営業の新規開拓のための見込み客の獲得を行いました。
まだ決まった「勝ちパターン」が確立していないところというのもあって、勉強したことや考えたことを自由に提案して、思ったとおりに実行することができました。
その分、失敗することもたくさんありましたが、うまくいったときはインパクトのある成果を出しやすく、昇給昇格も早いペースでできました。

では、このような傍流のキャリアで結果を出すためには、何が必要か?
それは、先ほどの7つの特徴の2つ目、「異質経験」を活かすことかもしれません。

異質経験を活かすとは、「その職種において、自分以外の人は持っていないような異質な経験をうまく活かしてキャリアをつくり込んでいこうとする発想」のことです。
同書に載っていた、転職者のケースを紹介します。

日本の家電業界でコスト管理の仕事をしながら、同時に、個人的にネット関係に興味をもち、趣味と実益を兼ねて、仕事においてもネットを活用する方向に膨らませていった。
その後、典型的なシリコンバレー系の大手ソフト会社に転職した。
それは、ネット関係のスキルがあったからこそ可能だったのだが、その会社に入って、非常に役立ったのは、むしろ、前の会社でのコスト管理のスキルだった。
アメリカのシリコンバレーのソフ制作には意外にもコスト管理のスキルが弱く、前職での異質経験が非常に希少価値になったのだ。(同書138ページより)

僕の場合も、3社目の教育NPOでは2社目で培った「ダイレクトマーケティング」の経験が大いに役立ちました。

担ったミッションは、被災地の子どもたち等のために、寄付を獲得すること。
「ランディングページ(LP)をつくって、広告からアクセスを流入させて、新規顧客を獲得する」や「データベースをもとに既存顧客をセグメントして、メール・郵送などでフォローする」など、企業ではある意味“当たり前”の施策を行ったのですが、競合となる非営利団体ではそこまで導入されていないため、責任者となった部門の寄付額(企業でいう売上)を大きく伸ばすことができました。

「非営利機関」と「ダイレクトマーケティング」という、まったく異質に思える2つの組み合わせだからこそ、価値を生むことができたと実感しています。

3つ目以降の、「今後の動向に賭ける」や「好きなようにできるを重視する」、「私的自己意識にこだわる」なども面白いのですが、このあたりで。
特に20代の方にとってはとても参考になると思うので、興味がある方はぜひ手にとられてみてください!

ノマドライフで、「収入は都心並みに高く、生活費は地方並みに低い」を実現する移住法

フリーランスとして独立したのを機に、東京都から神奈川県藤沢市に引っ越しました。

マーケティングの企画を立てたり、コピーを書いたりといった仕事が主なので、週に3〜4回は自宅や近くのカフェで仕事をして、同じく週に2〜3回くらいは仕事の打合せや友人に会うためなどで1時間半ほどかけて東京に行っています。

僕が32年間住み続けた東京を離れるという考えを実行に移せたのも、この本を読んだのがきっかけだったかもしれません。

著者の本田直之さんは「レバレッジ・リーディング」など、レバレッジシリーズで有名な作家。
ハワイと東京の2拠点を行き来しながら、作家業や講演のほか、コンサルティング会社の経営を手がけるノマドワーカーです。

彼がノマドライフについて話をすると、「ぜひやってみたい」という人がいる一方で、「無理だ」という反応も起こるそうです。
ノマドライフには、「お金がかかる」イメージがあるというのです。

実際には、東京で働いていた方が、同じ仕事をITを使って都市部を離れて行えるようになると、むしろ可処分所得は高まります。
たとえば、東京に本社がある企業で地方支社に勤務しているビジネスパーソンは、そのメリットに既に気づいていると言います。

住居費や食費などの生活費を低コストに抑えることができ、リーズナブルに生きられる場所に住みながら、本社がある首都圏と同じ給与体系で働いているということです。
わかりやすくいえば、入ってくるお金は都心並みに高く、生活費は地方並みに低い。
単純に差し引きすれば、可処分所得が増します。

ポイントは、地方にいながら都心の仕事をするということ。

地方に住んで地方の仕事をすると、物価に合わせてそれなりに収入も低くなってしまいますが、地方に住んで都心の仕事をすれば、収入はそのままでコストメリットを享受できるのです。
このような考え方を、彼は「アフォーダブル・ロケーション」(affordable location)と名付けて提唱しています。

私の場合も、家賃は東京にいたときより抑えられ、都内で同じ物件を借りたと想定したときの半分くらいの水準で済んでいます。
(東京への移動のため、交通費が2〜3万円増えたので、家賃の減少幅が若干相殺されてしまいますが。)

これは、グローバル企業が人件費の安い国に生産拠点を移し、物価が高い国で販売して利益を出そうとする取り組みと同じです。
生産コストが生じるビジネスは物価の安い場所を選び、収入を得るビジネスは物価の高い場所を選ぶ。
企業はこうして利益を大きくしています。
テクノロジーの進化により、個人でも同じことができる時代になったのです。

私は、「勤め人ではなくなり毎日出勤する必要がないから、東京に住むは必要ない!」というのと、「自然が豊かな場所の方が、クリエイティビティも高まるはず!」という理由で東京を離れることにしました。
かと言って、東京にあるクライアント企業を訪問して、顔を合わせて打合せをするのもやはり必要なので、東京から離れすぎるのは難しいなと。
東京に1〜2時間で出てこれるけど、少しのんびりしたところを探しました。

学生時代にビーチラグビーというスポーツをしていたこともあり、「いつかは海の近くに住みたい」という願望をずっと持っていたので、湘南藤沢に落ち着いたしだいです。
家から10分も歩けば、こんなビーチにたどり着きます!

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ちなみに最近では、たとえば都心の企業に勤務していても自宅は海の近くの郊外にもち、平日は会社の近くに小さなアパートを借りて生活する、「デュアルライフ」をするというスタイルを実践する方も出てきているそう。
こうすると通勤のストレスもないし、週末には快適なライフスタイルを満喫できるのです。

地価や生活費が高騰するいっぽうの都心にとらわれず、住宅事情が良い地方に目を向ければ、新しい発見があります。
ほかに家を持つというと「お金持ちの別荘か」と思うかもしれませんが、別荘という考え方そのものが、旧来型の発想です。
北欧のサマーハウスと同じで、質素なものでいい。自分の好きなライフスタイルをつくるためのもう一つの拠点になるなら、それで十分です。
自分が住む場所を規定しているのは、実はほかでもない。自分自身なのです。

私の場合も、子どもが大きくなったときには、もう少し自然が豊かなところで生活できたらなという想いもあります。
かと言って、今のように東京の企業からの受託がメインのビジネスモデルでは、東京を離れすぎるのは難しいのですが、いろいろな方法を考えていきたいと思います!

あなたがイクメンにならないとマズい理由ー「お父さんが育児をしないと、子どもの自己評価が低くなる」

33歳にして、初めて子どもを授かることになりました。あと二ヶ月、来年2月下旬の出産予定で、女の子(推定)です。

ついしばらく前まで、僕自身が子どもだった気がしていて、父親になるということのリアリティがなかなかまだ高まりませんが(汗)、ますます活発に動き始めた妻のお腹を触るたびに、新しい命が形作られているとことの不思議さに胸を高鳴らせています。
(きっと負けん気の強い子になるに違いない。。しかも夜型)

「父親になる」といっても男親の場合、「なかなか実感が湧かない」という話もよく聞きますが(←僕もその一人です)、この本を読んでから「育児に積極的にコミットしよう!」という思いを新たにしました。

冒頭で読んでびっくりしたのですが、「お父さんが育児をすると、子どもの自己評価が高くなる」という傾向が、統計調査として出ているというのです。

5〜6歳時点でお父さんの育児行動が平均点以上だった家と、平均点以下であった家を比較したとき、子どもが10歳になった時点で「自分は生きていてもしかたがないと思う」と応えた子どもの割合が、平均点以上の家は6.8%だったのに対し、平均点以上の家は、18.5%に達しています。
「自分は独りぼっちの気がする」と答えた子どもは、平均点以上の家が15.9%に対して、平均点以下の家は30.8%です。

自己評価とは、「自分は生きている価値がある」「大切な存在だ」「必要な人間だ」という気持ちのことで、子どもの心が成長していくうえで、いちばんの土台になるものです。
(「自己肯定感」や「自尊感情」とも言われます)
この気持ちがしっかり育まれていないと、しつけやルールがうまく身につかなかったり、勉強に集中できなかったりなど、あらゆる子どもの行動にマイナスの影響を及ぼすそうです。

それだけでなく、父親が仕事などで不在にしていることが多く、育児に参加できないと、母と息子の密着をつくり、子どもの自立を妨げる傾向も知られています。

父親が不在がちだと、母親は孤独を感じ、不安になります。
それが、育児不安という形をとることもありますが、もう一つ、母親の依存という形をとることもあります。
子どもが、母親の寂しさや不安を埋める手段になるのです。特に、男の子の場合は、異性ということもあって、その結びつきは、さらに強いものになります。

それによって、「アダルトチルドレン」や「マザーコンプレックス」などにつながることもあるそうです。

父親の育児参加が大事な理由としては、「母親の心身の負担の軽減」「職場復帰のサポート」などは理解していたつもりですが、このような理由もあるのですね。

最近では「イクメン」が流行語にもなっていましたが、父親の育児において、多くの方にとってぶつかる壁は、「仕事との両立」だと思います。

確かに、自分の好きな仕事に熱中して、子どものことなどほったらかし、という男の人もいます
しかし、多くの父親は決してそうではなく、何とか子どもに関わりたい、家に帰りたいと思いつつ、仕事の状況がそれを許さず、仕事と育児の板挟みで深刻に悩んでいることも多いのです。

私は幸いにしてフリーランスとして働いていて、週に2〜3日は自宅で仕事をしています。
時間に融通は効きやすいし、子どもの近くにもいることができるので、その環境をめいっぱい使わせてもらうと同時に、「時間と場所に縛られない働き方」がこれから広まっていくために、僕もできることをしたいなあと思います。

ともあれ僕自身も、産まれていない現時点では「育児参加」と言っても、まだまだイメージが湧かないところも正直ありますが、「お風呂に入れたり、おむつを替えたり、積極的に関わることで、父親の自覚が育ち、わが子への没入感情を持つようになる、それに伴って、父親と子どもの間にも、強い心のきずなが生じる」そうです。
まずは行動してみようと思います!

“雇われない働き方”の時代に大切な、「人的資源の分散投資」という考え方

2009年、まだベンチャー企業の社員だった頃でした。

「いつかは、独立するんだ」
そんなことをおぼろげながら考えていたときに、衝撃を受けたのがこの本でした。

2002年に出版された同書によると、フリーランス・臨時社員・ミニ起業家を合わせて、アメリカには3300万人の「フリーエージェント」がいると推定。
この数字は、アメリカの労働人口のほぼ4人に1人にあたり、製造業の就労者や公務員の数を軽く上回ると言います。

「アメリカの現実は、未来の日本でも必ず起こるはず!」

そう期待に胸を高鳴らせたものの、いきなり独立するのは怖い・・
「会社員の方が安定しているのではないか?」「将来、家族ができた時を考えると、リスクをとれない」

そんな疑問も抱いていた私がこの本を読んで抱いた考えは以下です。

「一つの会社で正社員として務め続けるよりも、独立をした方が長期的には“安定”を実現できるはず」

キーワードは、「人的資源の分散投資」。
筆者のダニエル・ピンクは、金融市場でのリスク分散にたとえて説明します。

これまでは、同時に複数の仕事をもって、仕事を「分散」させる人はほとんどいなかった。
なによりも、そんなことをする必要がなかったのだ。
一つの企業に就職すること、いわば自分のもっているすべての人的資源をひとつの会社に投資することは、基本的に賢明な選択と考えられていた。
しかし、いまや大半の人は、すべての人的資源をひとつの企業に投資することは全財産をIBM株に投資するのと同じように愚かなことだと感じている。

資産運用の世界と同じように、仕事の世界でも「分散投資」が生き残りの条件になりつつあると、著者は述べます。

では、アメリカでフリーエージェントとし実際に生計を立てている方は、どのような収入ポートフォリオを実現しているのでしょうか?
新しい生き方を実践している、マーケティング専門家のデボラ・リシさん(43歳)の働き方が取材されています。

いまは、コンピュータや関連機器、ファイルキャビネットで溢れかえった自宅の一室で働いている。
ここを拠点に、サン・マイクロシステムズやオラクル、シスコシステムズなどのハイテク企業向けにマーケティング戦略を練る仕事をしているのだ。
常に四社から六社の顧客を相手に仕事をしている。
会社員時代より収入は増えたし、将来に対する安心感も強まった。
リンの仕事に対する姿勢は投資に対する姿勢と同じ。
重視するのは、十分な調査と確固たる原理原則、そして分散だ。
すべての人的資源をひとつの雇用主に投資するのは愚かだというのが、フリーエジェントの発想なのだ。

私個人も、2011年にNPO法人に転職をしました。

「心の底からやりたいことにチャレンジしてみよう!」
そう決心したものの、NPOだけでは食べていけないかもしれない・・というリスクも考えて、それまで勤務先の会社で担っていた仕事の一部を、フリーランスとして引き継がせてもらうことにしました。

その結果、NPO(給与所得)とフリーランス(事業収入)の比率を、60〜70%:30〜40%の比率に保つことができて、結果的に経済的安定を実現できたと考えています。

ノースウェスタン大学のチャールズ・F・マンスキーとウィスコンシン大学のジョン・D・ストローブによれば、「雇われないで働いている人は雇われて働いている人に比べて、失業の不安を感じていない」と調査結果を発表しているほどです。

フリーエージェントとして新たな一歩を踏み出した、ピート・シラーさん(バージニア州ハーンドーン)のコメントが同署に載っていたので、最後に紹介して締めくくらせていただきます。

古い関係が崩れて、会社が面倒を見てくれるのではなく、自分で責任をもって収入を確保するという新しい関係が生まれた。
この新しい関係は解放感があるけれど、同時にとても怖い。
でも、怖いと思うのは慣れていないからだ。
パラダイム・シフトが進むにつれて、恐怖心は和らいでいくだろう。
私たちの孫の世代は、おじいさんやおばあさんの時代にはほとんどの人が雇われて働いていたと聴けば、びっくりするかもしれない。

ノマド・ワークで集中できなかった僕が、佐々木俊尚さんから学んだ“アテンション・コントロール”の技法

時間や場所、組織にとらわれずに、自由に働く。

この言葉に惹かれる方にお薦めしたい本が、「仕事するのにオフィスはいらない」(佐々木俊尚、光文社新書)です。

2009年、当時社会人5年目でベンチャー企業に勤めていた私は、「オフィスのない会社」「働く場所を自由に選択する会社員」といった刺激的なキャッチフレーズに、胸躍らせたのを覚えています。

この本では、今で言う「ノマド・ワーキング」で成果を出すための方法論が事例を交えて紹介されているのですが、特に参考になったのは、「アテンション・コントロール」の方法。
つまり、自分自身の集中力をいかにコントロールするか?の技術です。

週に2日は、取材や打合せなどで人と会う時間には充てず、オフィスやカフェにこもってじっくりと執筆や企画を進めるという佐々木さんの働き方ですが、長時間集中して仕事を進めるために、どんな工夫をしているのでしょうか?

大切なのは、「アテンションとリラックスのリズムをどう作るか?」と言います。

長い時間をずっとアテンションを高めたまま維持するというのは、並大抵のことではありません。佐々木さんの場合も・・

気分が乗っているときや〆切が迫ってきて切羽詰まっている時は、30分から1時間くらいはアテンションが持続しますが、気分が載らない時やだらけている時は、頑張っても5分から10分ほどしか続きません。
気がつけばウェブブラウザを開いて暇つぶしの読み物に没頭してしまっていたり、2ちゃんねるで仕事とは前々関係のないスレッドを読みふけってしまったりしています。

「ひと月に15万文字書く」や「毎月8本の雑誌連載と4本のウェブ連載」「年間4~5冊の書籍も刊行」など生産性の高さで知られる佐々木俊尚さんですが、長時間の執筆作業などでアテンションを高めたまま維持するのは、苦労しているようです。

自身の行動を振り返るなかで、問題なのは「アテンションが途切れてしまうこと」ではなく、「暇つぶしの読み物に没頭してしまうこと」「仕事と関係ないスレッドを読みふけってしまうこと」と言います。

アテンションが続かないのは誰にもあることで、それを否定しても仕方ありません。
でも、アテンションが途切れてしまった時、そのだらけた気分を「暇つぶしの読み物」「仕事と関係のない掲示板」のような「気が散るもの」に転嫁させてしまって、そこに没頭させてしまうと、気持ちが仕事に戻ってくることができなくなってしまいます。

では、どうすれば「気が散るもの」に没頭しないですむでしょうか?
必要なのは、アテンションとリラックスのリズムをうまく作り出すことです。

つまり、5分、10分といった短いインターバルの間に、アテンションを高められる時間帯をうまく創り出すことです。

佐々木さんが自ら採用しているという、仕事中に聴くBGMの活用法も紹介されています。

ここで大切なのは、選曲ではありません。曲の再生と、仕事のリズムをうまくかみ合せることです。
たいていの曲の長さは4〜6分程度。この長さを、自分の体のリズムに合わせます。

私の場合、2曲続けてアテンションを高める仕事をしたら、その後1曲はリラックスするというサイクルを作っています。
そうやってアテンションの仕事とリラックスの仕事を、交互に続けていくのです。

まずは原稿執筆に集中して、BGMを2曲聴いて集中力が途切れてきたら、いったんパソコンの画面のウインドウをエディタ(文書編集ソフト)からウェブブラウザに切り替えます。
開いていたグーグルリーダー上で新着記事のチェックをして、Gメールも確認していくのです。

また、プレゼン資料を作ったり、企画書や原稿を書いていると、気分が乗ってきた時に出てくるのが、「あ、ここはちょっと統計数字やデータを調べないと書けない」という箇所です。

しかし、そこであわてて調べ物を始めてしまうと、せっかく乗ってきた気分が削がれてしまいかねません。
おまけに調べ物の途中で面白いブログや掲示板の書き込みなどを見つけてしまうと、もういけません。
どんどんアテンションは失われてしまって、気がつけば読みふけってしまっていた・・ということになってしまいます。
そこで調べ物が必要だという場面にきたら、とりあえずその部分に「要リサーチ」「※ここは後で調べる」などと書いてチェックを入れておき、調べ物は仕事が一段落してまとめて行うようにしましょう

私も同じようなことに思い当たって、ここで読んだことをヒントに、以下のような方法を実践しています。

・文章を書いていて、どうしても言葉が浮かんでこない箇所は、「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」や「○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○」などととりあえず書いておいて、その箇所はスキップして次のパートに進む
・ついついGmailやFacebookをチェックしようとすることに気づいたときは、その手を止めて深呼吸する
・その時に集中しているタスクとは関係のないアイデアを思いついたときは、すぐにEvernoteに書き込んで、頭のなかをすっきりさせてからタスクに戻る。
・別のタスクを思い出したときは、タスク管理ソフト(私の場合は、Omnifocus)に登録する

ノマド・ワーキングをしていると友達に話すと、「人の目がないと集中できない」「家やカフェだと、どうしてもだらけてしまって・・」「私には、ノマドワークはできない」と話す人に多く出会ってきました。
もし集中力を保つ技法を身につけているか否かの違いで、「自由に働く」を実現する可能性を閉ざしてしまっているとしたら、とてももったいないことと思います。

この本には、その他にもアテンションをコントロールするスキルが紹介されていますし、個人個人が試行錯誤しながら見つかってくると思います。
あなたも、ご自身ならではの「アテンション・コントロール」の方法を身につけて、自由な仕事環境に溺れずに成果を出し続けるために、ぜひご覧になってください!

梅田望夫さんから教わった、「けものみち」の歩き方と「コモディティにならない」仕事の獲り方

2014年秋、フリーランスとして独立したのをきっかけに、ブログを書くことにしました。

新卒で就職したのは、社員数が連結で10万人の大手電機メーカー。
3年目で転職したのは、社員数50名(当時)のベンチャー企業。
社会人7年目の2011年夏、今度は社員数10名(当時)のNPO法人に転職。

だんだんと規模の小さな組織に移っていくなかで、不安を抱えながらも踏み切ることができたのは、、この本を何度か読み返すなかで励まされてきたからでした。

この本に書かれていた「けものみち」というキャリアの考え方を、今日は紹介したいと思います。

冒頭で著者の梅田望夫さんは、インターネットの発達によって知の共有が進んだ今は、「ある分野を極めたいという意志さえ持てば、あたかも高速道路を疾走するかのようなスピードで、効率よく過去の叡智を吸収できる。そんな『学習の高速道路』が、あらゆる分野に敷かれようとしている」と言います。

つまり、あらゆる人に専門分野を極めて一流になるチャンスが開かれたのですが、それは逆に、後発の世代や途上国の若者も含めて、参入者が後からどんどん追いかけてくるということ。
“その道のプロ”寸前での、「大渋滞」が起こります。

では、どうすれば大渋滞の先でサバイバルして、専門分野で飯を食えるようになるのか?

それには、「高く険しい道」(専門志向)と「けもの道」(総合志向)の2通りの生き方の選択肢があると言います。

大渋滞の存在にかかわらず、自分が好きなことについて目の前に高速道路が広がっているのだから、とにかく行けるところまで突っ走ってみよう。
そして仮に大渋滞に差し掛かったら、その専門をさらに突き詰めて大渋滞を抜けようとするか(「高く険しい道」)、そこで高速道路を降りて、身につけた専門性を活かしつつも個としての総合力をもっと活かした柔軟な生き方をするか(道標もなく人道がついていない山中を歩くという意味で「けものみち」と呼ぶ)、そのときに選べばいいじゃないか。

「高く険しい道」は、比較的わかりやすい働き方です。
「専門を極めて、たとえば大学教授になるとか、ある分野の専門家として大企業に勤めるとか起業するとか、資格を取って弁護士になるとか、ある分野の専門職人として誰もが認める存在になる」ことです。

一方、「けものみち」とは、高速道路を疾走するのに比べると、「なんでもありの世界」と言います。
「好きなこと、やりたいこと、やりたくなくてもできることを組み合わせ、ときに組織に属するもよし、属さぬもよし、人とのさまざまな出会いを大切にしながら「個としてのストーリー」を組み立て、何とかゴチャゴチャと生きていく世界」です。

著者が好きな将棋の世界を例に挙げて、「けものみち」を説明していますが、「『将棋に勝つ』ということ以外の方法で、将棋に関わって飯を食う可能性空間のすべて」と定義しています。

将棋連盟の経営、将棋の普及や指導(稽古)、将棋の解説、将棋イベントの企画・運営、将棋に関する本の執筆、将棋雑誌や将棋サイトの編集、将棋ソフトの開発、後進の育成、弟子をとる、将棋のグローバル化(海外普及)、将棋新市場の開拓、将棋をめぐる次世代ビジネスシステムとその執行など、そのすべてにおいて「将棋の強さ」は必ずしも絶対的な必要条件ではない。
プロスポーツの世界のように、「トーナメント・プロのコーチ」のような将棋をめぐる「新しい職業」もこれから生まれるかもしれない。
いずれにせよ、将棋と将棋以外の異質なものを組み合わせるさまざまな営みにおける「人間の総合力」が試されるのが、「けものみち」だ。

僕の場合は、大学時代にボランティアをしていた教育NPO団体が、「良い活動をしているのに、そこで働いている人が十分に食べていけないのはおかしい」「いつかは、活動に必要なお金を集められるようになりたい」という想いから、まずはビジネスの世界でスキルを培おうと大手電機メーカー・広告代理店でキャリアを積みました。
その「高速道路」を走るなかで、「ダイレクト・マーケティング」という専門分野で技術を身につけました。

そして高速道路を降りたのが、2011年にNPO法人に転職をしたときのこと。
転職したNPO法人で、寄付による事業モデルを立ち上げて、今はフリーランスとして「非営利」×「マーケティング」を軸に仕事をしています。

一方、「独立」「転職」「起業」と思っていても、なかなか踏み出せない方も、多いと思います。(僕もずっとその一人でした。)
著者も、「優等生ほど『けものみち』への想像力を欠き、未来に茫漠とした不安な気持ちを抱いている」と言います。

「けものみち」は、やる気のあるすべての人に開かれた道です。
ところが日本では、組織に依存せずに「けものみち」を歩く自由な生き方の在りようが、まだきちんと言語化されていないのです。

そこで著者の提案する、不安の乗り越え方があります。

「けものみち」に対する不安を「自由な気持ち」に変化させるには、定義した自分の能力に対して誰かにいくばくかのお金を支払ってもらう経験を、できるだけ早い時期から積むことかなと思う。
コモデイティ化された能力を時間単価いくらで切り売りする時給いくらかのバイトではなく、価格の相場が決まっていないところで「能力の取引」をして稼ぐ経験である。

僕の場合は、NPOに転職したときに、それまで勤めていたベンチャー企業の仕事の一部を、業務委託で続けさせてもらいました。

ベンチャー企業では、通販会社にマーケティングの成功事例・ノウハウを届ける、メールマガジンやニュースレターを企画・執筆の仕事をしていました。
そのメディアが、クライアントのなかに熱心な読者が多数いらっしゃったこと、新規取引のきっかけとなる事例が多かったことから、会社を辞めた元社員にもかかわらず受注したのです。

それから3年後、フリーランスとして独立しましたが、NPOにフルタイム職員として勤めながら、週に1日(8時間)前後、この業務委託の仕事を続けさせてもらったことが、「独立して、仕事がなかったらどうしよう?」「自分に発注してくれる人なんて、はたしているの??」という不安を乗り越える大きなきっかけになりました。

「自分の専門性を通じて、価値を出せる先が必ずあるはず」とどこかオプティミスティックな(楽天的な)気持ちで、独立に足を踏み出すことができました。

最後に、「けものみち」でいちばん大切な「一人で生きるコツ」として、次のような発想や組み合わせを紹介させてください。

・あらゆる面で徹底的にネットを活用すること。
・自分の志向性や専門性や人間関係を拠り所に「自分にしか生み出せない価値」(さまざまな要素からなる複合技)を定義して、常に情報を発信していくこと(ブログが名刺になるくらいに。自分にとって大切ないくつかのキーワードの組み合わせで検索すると自分のエントリーが上位に並ぶようなイメージ)
・自分の価値を理解して対価を支払ってくれる人が存在する状態を維持しようと心掛けること。
・コモディティ化だけは絶対にしないと決心すること。自らのコモディティ化に対してだけは、「Paranoid」(病的なまでの心配性)であるべきで、その予感があったら必ず新しい要素を自分の専門性やスキルに加えていくこと(そのときも高速道路を大いに利用しよう。)
・積極的に人間関係を構築し、人との出会いを大切にすること。
・組織に属するときでも「個と組織の関係」においてきちんと距離感をとって、組織の論理に埋没せず、個を輝かせようと努力すること

僕自身も、「けものみち」を歩いていこうとする一人として、これらを一つひとつ実践していこうと思います。
「専門性や志向性の複合技で個の総合力を定義し、その力で自由に社会を生きていく」、そんな「けものみち」を歩くことに憧れる方は、ご一緒にぜひ!